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また、「ななな」の仮歌が聞きたい [つれづれ]

年末のカウントダウン・ライブ出演が終わり、
東京・大阪の新春ライブ(コンサート)が終わり、
エレファントカシマシは1年のサイクルのうちのアルバム制作期間に入っていると思われる。
だから、昨年の野音ライブDVDが発売される頃までは、
おそらく表だったメディア露出やライブなどもなくなるはず。
ということで、早くも昨年の野音以降と同じ状態に放り出されたファン。

そんな状態になったら、これまでのことを思い返して、
ああでもない、こうでもないと、思いを巡らせる他はないだろう。

私が最近残念に思っているのは、
新曲披露のさいに、楽曲がほぼ完成型でしか披露されないことである。
限定販売CD『日本 夏』に収録されている【歴史前夜】ではないが、
エレファントカシマシの新曲披露は、たびたび仮歌段階であった。



EMI時代からライブに通うようになった私には、
新曲披露といえば、半分ないし、ほとんど歌詞が仮歌であるのが、
なかば常識化していた。

だから、【歴史前夜】が『扉の向こう』のドキュメンタリーのなかで、
あたかも新鮮なこととして騒がれていたことに、かえって驚いたくらいである。
私の知るかぎり、『俺の道』発売前にはよく「ななな」で歌っていたし、
キャニオン時代にも歌詞が未完成の歌を披露することもあったようだ。

私が聞いたことのある仮歌。
【俺の道】【ハロー人生!!】【季節はずれの男】
【歴史】【パワー・イン・ザ・ワールド】
【理想の朝】【すまねえ魂】【シグナル】【流れ星のやうな人生】
思い返してみると、『俺の道』『扉』『町を見下ろす丘』の制作時期である。

宮本浩次の楽曲制作は、たいがい曲が先に出来て、
そのメロディに詞を当て込んでゆく作業に苦戦する。
(その模様はドキュメンタリー『扉の向こう』におさめられている)
しかし、楽曲自体はできているので、
ライブで未完成版が披露されることも、そう珍しいことではなかった。
アレンジにしても、観客の反応を見ながら変わっていくところが多々あった。
とくに『町を見下ろす丘』収録曲は、初披露のアレンジからだいぶ変容したのをよく覚えている。

最近ファンになった人たちは、
完成途上の仮歌を聞いたことがない人ばかりなのかと思うと、
すこし可哀相に思ってしまう。
不定形の歌詞を歌い上げる宮本というのは、それは鬼気迫るものがあり、
また楽曲の生乾きな素型がもつ生々しさも新鮮なのだ。
制作途上の過程がわかるということは、
パッケージしか耳にしないファンには決して経験しえない、
ライブ参加者の特権であったということもある。

【俺の道】のスキャットや【待つ男】のスキャットを聞いてもわかるとおり、
宮本の仮歌というのは、言葉にならぬ意味をもった音声で、
明確にならずともちゃんと響きのなかに伝わるものがあるのだ。
だから、この仮歌というやつを、未完成だからといって封印しないでほしい。
もちろん、03年末のカウントダウン・ジャパンのように、全部仮歌というのはやりすぎだが、
セットリストのなかで2~3曲の仮歌なら、全然問題はない。
むしろ、その完成途中を目撃したいとさえ言いたい。

最近いちばん最後に耳にした仮歌は、
07年秋JCBホール2日目の【あの風のように】であった。
その時は曲紹介もなく、軽く一節歌っただけであったが、
『昇れる太陽』が発売されたときに、【あの風のように】であったことがわかった。

寺山修司がたしかこんなことを言っていた。
「蝶には蝶としての完成型があるように、
 幼虫には幼虫としての完成型があるのであって、
 幼虫は蝶の不完全な姿ではない」。
まさに、エレカシの仮歌とはその形容がぴったり当てはまる。

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