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ファンの思い入れ [エレカシファン]

エレカシ・ファンは強慾である。
そして、因業(カルマチック)である。

たとえば、作品世界に対する入れ込みが過ぎて、
本人(宮本浩次)がフィクションだと説明しても、
あれは言い訳で作品の中の景色は「本当に違いない」と言い張る。
あるいは、
特定の作風をして「これがエレカシの本質である」と決めつける。
なんと予言者風なのであろうか!

本人のことが本人よりもわかる。
そんな立場は、近親者か恋人、親友くらいにしかありえないわけだが、
そのどの位置にもないファン風情が、
「あなたのことが誰よりもわかる」と勘違いをする。
わかっていないのだが、入れ込みが過ぎてそんな気になる。
中毒である。まちがいなく、毒に当てられているのである。

EPIC時代が本質だという人がいる。
間違ってはいない。だが、それが全てではない。
CANYON時代が本質だという人がいる。
間違ってはいない。だが、それが全てではない。
EMI 時代、UNIVERSAL時代も右に同じである。
たとえ、どんなに演じ分けをしてみても、
本質というものは底に通っている。
あとは意匠と役柄の好き嫌いである。

時代劇が好きな人は時代劇を観ればいいし、
現代劇が好きな人は現代劇を観ればいいし、
近未来が好きな人はSFを観ればいいのである。
どれかひとつのジャンルが好きだからといって、
他を否定してみても意味がない。

この時代が好きだ、
この作品が好きだ、
このライブが最高だった、
それは人それぞれ違う。
統一しようがない。

そこへ権威面した人物が現れて、
もっともそうに「これとこれが最高だ」と言う。
いかにも説得力があるが、
自分が思っているものとは違う。
この人の意見と違う自分はおかしいのだろうか?
自分が思う「最高」は間違っていたのか?

そんなことはない。
自分が思う「最高」は自分ひとりのものだ。
評論家やファンの重鎮の言うことなど聞く必要はない。
極論を言えば、アーティストの主張と違っても構わない。
自分が見て、自分のこころが感じたものが全て。
あとから、誰かに説得されて考え直したものは、
残念ながら、その時の感動ではない。
だから、自分と違うことを説く評論は、
すべて赤の他人の参考意見。
まったく耳を貸す必要はない。

ちなみに、私のロクでもない駄論も、
ほとんど私ひとりのための弁明で、
誰かを取りこもうとするためのアジテートではない。
「EPIC作品だけが本質だ」という人を改心させようとも思わないし、
「蔦谷好位置が悪の戦犯」だという人を転向させようとも思わない。
それはそれでひとつの意見だけれど、
そういう狭量な意見では「今のエレカシがつまらなくなるだけ」、
そう力説するだけである。

今よりも過去が輝いて見えるのは、
「思い出」の方が人のこころには美しいからである。
だが、「思い出」というやつは、実像とは違う。
記憶というやつは、常に自分の都合のいいように物事を歪める。
だから、今に近い感情や記憶の方が事実に沿っている。
回想録が日記ほど当てにならないことは、
近代史を学んだことがある人間には明白である。
だからこそ、昔は昔として愛し、
今は今として愛する必要がある。

「過去」のエレカシ(宮本)を「今」愛することはできない。
「今」のエレカシは「今」を生きているから、「過去」の輝きはない。
また数年経ってみると、作風が変わって、
「今」のエレカシは「過去」のエレカシとなり、
「思い出」として輝き出すのである。

ならば、「今」は「今」として愛して、
「過去」となれば「過去」を愛せばよいのである。
さんざん馬鹿にしていたミュージシャンや音楽作品が、
時を経てみると案外に悪くなくて、
「あの当時に聞いておけばよかった…」と後悔するのは、
つまり「今」というのが生ものとして評価しにくいからである。

エレカシの事例を引くならば、
『ライフ』TOUR後、数年間のキャリアなどがそうだろう。
ライブ動員も売り上げも芳しくなかったが、
振り返れば「行っておけばよかった」という人が少なくないはず。
そういうものなのだ。
EPIC時代だってそうだろう。
つまりはそういうことである。
生ものはお早めに召し上がれ、宮本御大もそうおっしゃっている。(了)

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カズ

こんばんは!
荒川の土手の写真素敵ですね。
いつも同じ時期に赤羽に行ってるのでもしかするとすれ違ったりしているかも知れないですね。
でも一度も荒川の土手に行ったことがないので野音の翌日は是非行ってみようと思っています。行き方も教えて頂いて有難うございます。

ファンの思い入れですがいろいろと決めつけられる方がいらっしゃるようですが、宮本さんもいつも言われてるように根っこは何も変わっていない、いつも同じことを歌ってるって、表現の仕方が変わるのは当たり前のことだと思いますし変わらないと逆におかしいと思います。
宮本さんはデビューした頃からまったくブレがないから私は好きです。

これが最高っていうのは人それぞれ違うし好きな曲、詩、表現の仕方の好みも違うので自分が好きだと思う曲を中心に聴けばいいだけのことで自分の好みでない曲を批判したりするのはとても失礼な話で同じファンとして何と視野の狭い人間なんだと情けない気持ちになったりもします。

一度どこかのブログで宮本さんが自信作と言われていた曲を思いっきりけなされていた方がいらしたことがあり、そう感じたのならその曲は聴かなきゃいいだけなのにねって友人と話したことを思い出しました。。。

by カズ (2010-07-11 22:52) 

黒のシジフォス

カズさんコメントありがとうございます。
私は構え方が下手なので、手ぶれ写真が多いのですが、
この日は光量があったので、比較的うまく撮影できました。

野音の当日に行かれるということですが、
JR赤羽駅からは直線距離で1.5kmくらいあるので、
体力に自信がない場合はライブに専念されることをおすすめします。
往復3kmはそれなりの運動量です。
(東京メトロ南北線「赤羽岩淵」駅のが若干近いです。
 それから、南北線なら「永田町」駅まで一本です。)
それから、電車の時間もかかるので注意。
有楽町からJRだと30分くらいかかりますね。(南北線も同じ)

この項目に賛同していただいて、ありがとうございます。
こころ強いです。
この項目は以前、論争になったテーマの私なりの回答です。
幸せそうにステージで演奏するメンバーを見て、
幸せになれないファンがいるという、
なにかもやもやした気持ち、それを吹き飛ばしたかったのもあります。
ライブに行きづらいのが嫌だ、というのは大賛成ですが、
POPになると、売り上げに身を売った、と短絡的に言うのが理解できません。
あと、いつも過去ばかりを褒める人たちです。
「今」だってどうせ「過去」になるんですから。

「自信作」とアーティストが誇るものを、
ファンが悪し様にいうのは悲しい光景ですね。
趣味嗜好が一致しないときもあるかもしれませんが、
とにかく貶(けな)して、自分の卓見を誇りたいというのは、
違うと思います。
苦手な曲が、必ずしも不出来な作品とは限らないと、私は思います。
長くなってすみません。来週、土曜日は晴れるといいですね。
by 黒のシジフォス (2010-07-11 23:23) 

カズ

こんばんは!
コメント頂いて有難うございます。嬉しいです。
当日は待ちに待った野音に集中することにしますね☆
翌日は最終の新幹線で帰る予定ですので、朝から荒川の土手を散策してみます。

私達も嫌な気分を引きずっていましたよ。。。
シジフォスさんのもやもやしていらした気持ちよくわかります。
その時代、その時どきの今を作品にしてくれているので、どの時代のどの作品も全て宮本さんのその時の今なんですよね。すみません、支離滅裂で。。。

嗜好はあるにしろ、どの時代の作品も全て心をうつし、それぞれの作品に宮本さんの今を感じる事ができるということは凄いことだと思います。


by カズ (2010-07-12 22:16) 

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