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うらやましき2日目の野音 [つれづれ]

誰が聞いても楽しめる1日目
ファンキャリアの長い人がニヤリとする2日目
というセットリストだった気がする。
手前、本日、台風のズブ濡れを避けて行かなかったことを後悔している。
ただ、ファンキャリアも長くなって貪欲さが欠けているので、
セットリストを見ると脳内で満足するところもある。
1日目を見れば、2日目も聞いた気持ちになれる錯覚を脳内に養っているのだ。
便利な妄想(もうぞう)である。


実は2日目のセットリストの内容をうらやむのは、特段に理由がある。
『町を見下ろす丘』の重要な楽曲が2曲追加で演奏されているからだ。
【地元のダンナ】と【なぜだか、俺は祷ってゐた。】である
簡易メモから書き起した当ブログ記事に添付した、セットリストのメモ書きの画像を見て欲しい。
【地元のダンナ】と【なぜだか、俺は祷ってゐた。】を演奏曲として予想していたのである。
それは『町を見下ろす丘』の楽曲群が【大地のシンフォニー】や【明日への記憶】にダブルものが多いから、
とくに大切なコンサートにピタリとはまる良さを感じていたからである。
【シグナル】は誰でも予想するところだが、
【地元のダンナ】と【なぜだか、俺は祷ってゐた。】も実のところ味わいぶかいスルメ味である。
ただ【なぜだか、俺は祷ってゐた。】は年を重ねるごとに重くなる。

若い人にはわからんだろうと言ってしまうと、年寄りの小言になるが、
親の口癖である、「年を取らないと年寄りの言うことはわからない」というのは本当である。
エレファントカシマシの熱狂的なファンにはEPICがEPICがという人が、ごくまれにいるけれど、
若さから醒めないというのは病(やまい)のひとつのような気が私にはする。
(みうらじゅん等は是を「青春ジャンキー」と呼んで、年寄りの冷や水として苦笑している)

宮本浩次とエレファントカシマシは、年を重ねて【大地のシンフォニー】まで辿りつくのだけれど、
ずっと【ファイティングマン】や【珍奇男】や【奴隷天国】ばかりを歌ってはいられないという、
まあごくごく当たり前の事実からそうなっている。
そうして、そこにたどり着くことはなんと清々しいことだろう。
われわれは単細胞生物ではないのだから年を取り、老い、そして死に向う。
それを受け入れることが生きるということである。
ある時代の作品のみにこだわるというのは、物好きには好物かもしれないが、
生きている人にとってはそれは生きながら化石化を要求されるようなものだ。
この下り、本ブログでは溝つながりのレコードのようにおなじみである。

さて、宮本の近年の作品には、年齢を自らおもんぱかるような描写が多い。
そして、意識的に中年から壮年、壮年から老年にいたる道を、素直に語ろうとする意気地がある。
その始まりが『扉』~『町を見下ろす丘』の作品群だが、『町を見下ろす丘』は本当にすばらしい。
私が少々度を超した『町を見下ろす丘』の信奉者なのかもしれないが、そう感じてしまう。
それゆえに、何度も何度も聞きたくなってしまう。

話を戻そう。2日目のみに演奏された【武蔵野】も思い入れが深い。
2000年以降の野音を象徴する楽曲が、【武蔵野】と【友達がいるのさ】だ。
【武蔵野】はおそらくタイトルを見てもわかるとおり、
国木田独歩の短編集の表題作から取られていると察する。
国木田独歩もまたその筆名の通りに散歩魔であり、
その散歩文学の結晶が「武蔵野」であると言われている。
まだ武蔵野が地平線を見せていた明治のころに書かれた「武蔵野」でさえも、
「さぞかし昔の武蔵野は美しかったであろう」と嘆いているのだ。
そして、永井荷風は独歩より遅れて「武蔵野」を歩いたと思われるのだが、
荷風は江戸時代を幻視しつつ「武蔵野」を歩いて「日和下駄」を書き上げる。
そこにも「さぞかし昔の武蔵野は美しかったであろう」という慨嘆がある。
そして、宮本浩次の【武蔵野】である。
宮本浩次の【武蔵野】にも「さぞかし昔の武蔵野は美しかったであろう」という同じ慨嘆がある。
それが独歩や荷風に通じる風情を持っていると同時に、宮本浩次のみの青春残像を滲んでいるのだ。
佳曲【さらば青春】にも似た郷愁と恋慕が相俟って、【武蔵野】はひどく文学的なのだ。
そこで、この【武蔵野】を武蔵野の於母影がのこる日比谷公園で実演することの深みは、
荷風や独歩の世界に浸ったことのある人にはまた格別である。
宮本が涙を流す理由もよくわかる。

ごくまれに【武蔵野】の良さがわからないと言う人があるが、
そういう人は国木田独歩の「武蔵野」や永井荷風の「日和下駄」を読んでいないのだと思う。
単体の作品でも優れていなければならないという人もあるかもしれないが、
創作者の作品のなかには様々な経緯のなかに情緒のあるものが存在する。
たとえば、【歴史】に登場する『渋江抽斎』などもそれで、
『渋江抽斎』という作品ではあまり渋江抽斎が描かれていないということがあるが、
ただ作品を通読してそのことに文句を言う人はおらないと思う。
というのは、抽斎のいなくなった渋江家の明治の物語のなかに、渋江抽斎が残っている気がするからだ。
江戸から明治にかわる激変を生きた人の気概、それを生んだのが家長の残した家族の姿だと、
森鴎外は見たのだ。
なぜ、森鴎外がそう感じたのかは、鴎外の親族が描いた鴎外を題材とした随筆を読むとよくわかる。
はたして【武蔵野】という作品も、わずかに「東京はかつて木々と川の地平線」という一文が、
「武蔵野」を描写したと思わせる明確な記述として出てくるのみである。
しかし、独歩の「武蔵野」があり、荷風の「日和下駄」があり、そして宮本の【武蔵野】があるというつながりをみれば、
自ずと描かれない語られないことのなかにある重要さが、歌詞の背景に存在している。

実はこの東京≒武蔵野の景色に対する情緒は、
【友達がいるのさ】のなかにもこもっていることを、シングルCDのジャケットを使って以前に説明したが、
さらにその使い尽くされなかった創作ノートが【大地のシンフォニー】に繋がっていることも書いた。
【武蔵野】 → 【友達がいるのさ】 → 【大地のシンフォニー】
この流れには理由があり、相互補完的な内容を含んでいる。
今回この重要な作品が2日間の公演のなかで日比谷野音で演奏されたことは殊に感慨深いのだ。

さて、最後に【なぜだか、俺は祷ってゐた。】について特に触れたい。
この曲はEMI後期をまとめる重要な作品である。
「昔思っていた理想像」とは違う自分を受け入れる歌だからである。
それから、見栄や格好よさではなく、「素直に生きるため」に感謝する自分を受け入れる歌でもある。
若者には特権的に「反抗」や「破壊」や「無礼(非礼)」が大目に見られるところがある。
だが、年を重ねることはそれを捨てることである。ありていに言えば格好悪くなることだ。
年を取ることは格好の悪いことだ。ただ、それは本当に格好が悪いのか。
本当の審美眼は目を閉じたときに開くのではないのか。
不格好であることは格好が悪いのか。
【なぜだか、俺は祷ってゐた。】は宮本版のセンチメンタリズムの結晶であり、痛切である。
この気持ちというのは親が60半ばを超え、自分も30半ばを超えると、わかってくる。
なぜだと問われても答えにくい心情がある。
誰でも年を取る。そして昔のようにはいられない。
またそれゆえに、格好悪いと言っていたことを受け入れるようになる。自分が変質する。
それは悪いことなんかではないのだ。年齢を通じて見える風景は、おそらく同じではないからだ。
10才の子どもが見る富士と、20才の見る富士は違う、まして40、50ともなれば、もう別の山というものである。

エレファントカシマシにとって大恩人といえるだろう佐久間正英さんがスキルス胃がんを患っておられる。
【なぜだか、俺は祷ってゐた。】を聞くと、「俺は祷った。めぐり合ひし人々に、感謝したのさ。」
という歌詞のなかに佐久間さんが含まれている気がしてならない。
まして佐久間さんが闘病されている時分であるからいや増しなのかもしれない。
佐久間さんはご存知のとおりキャニオン時代を共につくった名プロデューサーで、
路線の違いからしばらく離れたものの、EMIの最終作『町を見下ろす丘』で邂逅した。
そしてあの傑作アルバムである。
今回演奏された【なぜだか、俺は祷ってゐた。】のあの一節がが誰に向けられたかは、
歌っている本人にしかわからない。
ただ、端から見ているいちファンとしては、色々なことを妄想(もうぞう)してしまうのである。
「感謝」を伝える歌というのは、やはり中年以降の特権のような気がしてならない。
すでに述べたように若さというのは「素直さ」とは別のところに光があるからだ。
だから若者の「感謝」の歌はウソ臭いが、中年以降が「ありがとう」というと滋味がある。
太宰治ではないが、若者は「ありがとう」が言えなくても含羞(はにかみ)があれば許されるが、
中年にもなると「ありがとう」が言えないと逆に恥ずかしいのである。

さて、長々と駄文を連ねてきたが、要は聞きたい作品が二日目に固まっていたからうらやましいのだ。
それに尽きる。ただ羨ましいけれど妬みはしないのだ。
聞きたかった作品はすでに幾度かライブで聞いたことのある作品だからだ。
若者はすべてを貪欲にほしがるが、年を重ねて中年にもなれば、
手に入らないものを埋める得心の仕方をおぼえるのだ。
金持ちにならなくても豊かになる「妄想」をおぼえるのだ。
それは悪いことだろうか?
それは格好の悪いことかもしれないが、案外に悪い気分ではない。
ピカピカの御殿に住んで、ピカピカの外車に乗って、お手伝いが給仕する取り寄せの高給ワインを飲むこと、
それが悪いとは言わないが、
安酒でも何でも、夜空に月を見て、庭のススキを見て、秋風が涼しいと思うだけで、旨くなるものなのだ。
ちなみに書き手は酒を飲めないので、秋の月見酒はできない。

ええい、まどろっこしい。繰り言が長くなるのが年寄りの悪い所だ。
日比谷で、あるいは映画館で、エレファントカシマシの復活を見た人は言葉も要らずに理解したことがある。
このバンド只者ではない、そしてまだまだ何かやりそうな気がする。以上3行の結論。
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コメント 3

PENNPENN

シジフォスさん、お久しぶりです。去年の野音以来です。
しばらく更新がなかったようですが、こうしてまた読むことが出来て嬉しいです。
今年は、私も同じく14日だけ行ってきました。
宮本さんの伸びやかで力強い歌声を聴いて、
始まる前の不安は、嘘のように吹っ飛びました。
そして、二日目のセットリスト、私も実は「う~~~~ん、羨ましい…」と思ってしまいました。町丘は一番好きなアルバムです。
そしてそして「武蔵野」「さよならパーティー」「俺の道」聴きたかった。
でも、14日に「友達がいるのさ」「翳りゆく部屋」が聴けたのは飛び上るほどに嬉しかったですが。欲望はきりがありませんね。もっとエレカシを!と中毒ですね(^_^;)

他の方のブログなど見ても、2日目も1日目と変わらず伸びやかな歌声だったようで、本当に見事な復活の野音だったのですね。

すごい男、すごいバンド。これからも、エレファントカシマシから目が離せませんね。
by PENNPENN (2013-09-16 10:17) 

黒のシジフォス

PENNPENNさんお久しぶりです。
ご無沙汰しておりました。

ブログの更新をおろそかにするのは、惰性のなすところで、
私は日めくりカレンダーを一枚一枚めくり破れるタイプではないのです。
それと同じで、どんな好きな物事の書きものでも、
定期にやりつづけるということが、どうも型にはまってやりきれない。
仕事であれば話は別なれど、趣味というのはそういうものですよね。
たぶん、これからは少しは頻繁に更新するはずだと思うので、
こりずにお目汚しください。

PENNPENNさんも14日のみの観賞だったのですね。
私もご同輩です。
1日目を見ようと2日目を見ようと、復活を目にし耳にするというのは、
感動もひとしおであり、そのことに上下はないはずです。
もちろん、出来不出来などは厳密に言えば違うのでしょうが、
どちらを見ても、どちらも見ても大満腹だと思います。
今回に関しては2日連続で見ない(聞かない)ことによって
記憶が混じらずに、1日目だけを強く刻んだ気がいたします。
何度も訪れる場所よりも、一度しか訪れない場所をよく記憶するようなものです。

2日目も声が嗄れてなかったのは幸いなことです。
ましてあのセットリストですから、素晴らしいのは間違いないですね。
ただ、1日目の良さというのもあります。
1日目は復活を噛みしめる余裕もなくハイテンションな宮本浩次でした。
MC少なめというのもそうでしたし、場慣れせずあたふたする感じも、
復活1日目ならではと言えましょう。
2008年の武道館公演と重なりました。
きっと2日目はだいぶリラックスして、くつろいだ野音になったんだと思います。
1日目には言葉にならなかったことも言葉にできたのでしょう。

コメントありがとうございました。またお気軽に。
by 黒のシジフォス (2013-09-16 14:24) 

PENNPENN

シジフォスさん、返信ありがとうございます。
ご同輩…いい言葉ですよね。
私も、エレカシファンとしてご同輩と言って頂いて嬉しいです。

またの更新楽しみにしてますね。
とはいえ、ご自分のペースでなさっているのがまたよいブログになっていると
思います。
それではまた寄らせていただきますね。
by PENNPENN (2013-09-16 18:26) 

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