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SHIBUYA-AXの営業終了について [つれづれ]

ご存知の向きも多いと思うが、
渋谷代々木公園内のライブハウスSHIBUYA-AXが来年の5月31日をもって営業を終了する。

SHIBUYA-AXのHP
http://www.shibuya-ax.com/index.html
SHIBUYA-AX営業終了の告知
http://www.shibuya-ax.com/info.html

2000年開業のSHIBUYA-AXは、
2000年代のエレファントカシマシの活動を象徴するようなライブ活動が行われてきた。
かくいう私がはじめてエレファントカシマシを見たのがこのライブハウスである。
私のなかで、エレファントカシマシというバンドは、
渋谷という地域と切っても切れない思い出と印象がある。
エレファントカシマシのAHIBUYA-AX公演は全部12回あったようだ。
2001年11月20日 (火) SHIBUYA-AX
2001年11月21日 (水) SHIBUYA-AX
2002年11月01日 (金) SHIBUYA-AX
2002年11月02日 (土) SHIBUYA-AX
2004年06月17日 (木) SHIBUYA-AX
2004年06月18日 (金) SHIBUYA-AX
2004年11月13日 (土) JAPAN CIRCUIT 渋谷AX
2004年11月22日 (月) SHIBUYA-AX
2006年06月26日 (月) SHIBUYA-AX
2006年06月27日 (火) SHIBUYA-AX
2007年09月29日 (土) SHIBUYA-AX
2007年09月30日 (日) SHIBUYA-AX

ごらんの一覧表を見てもわかるように、
東京公演というものがSHIBUYA-AXで2日間あるというのが、
EMI時代の通例のようなイメージがあった。
実際、私はこの12回のうちの10回に通っている。
足繁くライブ詣でをしていた書生のような時代である。

私にとってエレファントカシマシのライブというと、
現在のファンが感じるようなお台場ZEPP TOKYOの印象よりも、
圧倒的に渋谷公会堂とSHIBUYA-AXの印象が強い。
ライブ当日になるとタワーレコードやHMVで音楽探しをして時間をつぶし、
夕食を食べてから公園通りをあがっていく、
渋谷公会堂であれば開場待ちを区役所前で過ごし、
SHIBUYA-AXであればお気に入りの番号のロッカーに荷物を入れて、
入場整理番号を呼ばれるのを待つというのが、ライブ参加のひとつの段取りのようなものだった。
SHIBUYA-AXは表側のロッカーは早くいかないと埋まってしまい、
遅れていくと、建物横のロッカーか、開場後になかのロッカーに預けなければならないという、
ちょっとかわったロッカーの配置をしていた。

おそらくみなさんご存知と思うが、
SHIBUYA-AXは日本テレビの資本の入ったライブハウスで、
日本テレビをあらわす放送局コード「JOAX」から「AX」をとって名づけられたライブハウスだ。
おそらくYouTubeなどで流れているので見知っている人もいると思うが、
「LIVE-AX」という深夜番組のなかで、SHIBUYA-AXの公演が流れていたのは、
つまりそういうつながりからである。

エレカシは2001年と2002年の11月に同じ「LIVE HOUSE ツアー」というタイトルで
SHIBUYA-AXで公演を打った。
2001年のライブは『good morning』と『ライブ』をつなぐ時期のライブで、
キャニオン時代のヒット曲と『good morning』の楽曲がまじったセットリストだった。
まだ開場して間もない頃のライブで、宮本が「TVの収録スタジオのような印象のライブハウスだ」
というMCをしたのをはっきり覚えている。
2002年のライブは『DEAD OR ALIVE』の発売直前のライブで、収録曲の全曲が披露された。
バンド史上はじめてとなるミニアルバムの発売は、ライブ終了後のチラシで発表された。
打ち込みサウンドが多かった『ライフ』までと違い、
バンド/サウンドに帰って来たことを感じさせる、ゴツゴツとして骨っぽいライブだった。
ドラムのトミにマイクを投げる自県があったのは、この2日目だったはずだ。
私は1日目のご機嫌な宮本しか見ていないので、あの2日目の荒れようはしらない。
2003年は『俺の道』ツアーが久しぶりのホールツアーと、
ライブハウスはリキッドルームだったのでSHBUYA-AX公演はなかった。
翌2004年は、『扉』ツアーが行われ東京2デイズが戻ってきた。
全国を回ってきてからの公演だったので、とてもグルーブのある公演だったのを覚えている。
2004年は忙しくて、年の暮れには『風』のツアーがあって、
ツアーのはじまりがSHIBUYA-AXでラストがリキッドルームebisuという変則2デイズだった。
2005年は前半がシークレットライブが下北沢であり、
ライブハウスの「すまねえ魂」ツアーはリキッドルーム2デイズだったので、渋谷公演はなかった。
それで2006年前半に東名阪ツアーが、トミの病気でキャンセルになったあと、
復帰後ライブとしてSHIBUYA-AXの2デイズがあって、日比谷野音に繋がる感じになった。
2007年は野音、夏フェスのあとの東京2デイズ公演だった。
ちょうど移籍先のユニバーサルが決まった頃で、意欲作を発表する場所に選ばれている印象はあった。
翌年1月1日発売のシングル「笑顔の未来へ」を嬉しそうに披露していた。
そのときは「笑顔の未来、もとい涙のテロリストへ」と何度も紹介していた。

もうひとつの思い出を形成している渋谷公会堂も渋谷区庁舎と共に建て替えられると言われている。
おそらく、手狭な区庁舎といっしょになった総合施設みたいになってしまうのではないだろうか。
渋谷公会堂はあの単独の建物としての佇まいと、ステージと近い客席がよかったのだが、
よくある公共ホールのようになってしまうのだとしたら、これもまた悲しい。

SHIBUYA-AXと渋谷公会堂が無くなる(渋谷公会堂は建てかえだが)日が来るとは、
何か渋谷という場所とエレファントカシマシの思い出消えるようで、何かとても寂しい。
(了)
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