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PONY CANYON期ファンの回帰願望 [エレカシファン]

PONY CANYON期の作品でファンになった人たちは、おそらくEMIの中期にエレカシの作風に戸惑い、その多くがファンを離れたのではないかと思う。それほど、EMI中期、とくに『俺の道』以降はキャニオン期とはまったくかけ離れた音楽性になった。

そのときに、PONY CANYON期のファンはきっと思ったことだろう。売れていた頃のエレカシの歌の方が良かった。佐久間正英がプロデュースして、CMやドラマのタイアップが付いた、聞きやすい叙情的な歌が好みだったと。なんでエレカシはこんなにもいい加減で雑な歌をつくるようになってしまったのかと。

PONY CANYON期というのは、おそらくエレカシがデビュー当初にやりたかった音楽性(歌謡曲)と、流行のアレンジとの折衷である。エピック時代後期、エレカシは文学ロックから叙情的な歌謡曲へと少しずつシフトチェンジしていた。歌い方も『浮世の夢』や『生活』からはなれて、情感の残るやわらかい声音へとなりかかっていた。『東京の空』で契約切れを迎えなければ、『ココロに花を』はエピックに残したアルバムになったかもしれない。ただ、佐久間正英というプロデューサーがいなければ、あれほど揺らぎのないアレンジにはならなかったはずである。

PONY CANYON期というのは、90年代後半という時代性、そして佐久間正英という名プロデューサー、それからエレカシの叙情歌志向という3つが化学変化してはじめてできあがった、<瞬間の輝き>であるとも言える。だからこそ、すばらしい楽曲群が残っているが、どこか<よそ行き>の印象も残るのである。エピック期は事務所に与えられた方向性で背伸びをしたと指摘したが、キャニオン期は自分たちがやりたかった音楽で背伸びをしてしまったのではないか、と私は考えている。だから3枚目の『愛と夢』で、もう息を切らしてしまったのである。

音楽的にもっとも成功し、ポピュラー・ミュージックとして認知されることに役立ったキャニオン期。ただ、ここには回帰できないだろうというのが、私の推測である。というのは、エピック期同様にその時代のなかでの<背伸び>ということもあるが、前進することしかできない宮本浩次という戯作者は、似たようなことを延々と繰り返すことを快く思わないからである。キャニオン期のファンからすれば、『愛と夢』は十分合格点だったはずである。だが、それを蹴って、宮本はレコード会社を移籍した。それが決して戻らないことの証左でもある。

エピック期の衝動に近い楽曲が、エピック期以降にときおり現れるように、キャニオン期以降のキャリアのなかにもキャニオン期に近い色をした楽曲がある。たとえば【孤独な太陽】【武蔵野】【秋】【シグナル】などなど。だが、どれもキャニオン時代の華やかな印象、あるいは情感というものが足りない。いや、客観的な物語としてではなく、個人的な私小説としての内容が大きすぎるのである。
キャニオン時代の楽曲のポピュラリティーは、つまり楽曲の主人公に誰でもが入り込めるその物語性であった。ところが、『good-morning』 以降の楽曲は、エピック時代同様に私小説的な内容に回帰してしまったのである。歌の主人公は、「俺」であろうと「僕」であろうと、要するに宮本浩次その人の姿が投影されているので、リスナーは自分の物語としにくくなってしまったのである。エレカシ好きを別にすれば、EMIよりあとの作品はカラオケで歌う曲としては不適当であることを理解しているだろう。

エレカシと宮本は、エピック期とは別の意味でキャニオン期には回帰することはない。ひとつは成功への願望が達成され、いわゆる正当なコマーシャリズムのなかで、売れ線の音楽に身を売ることはないからである。エピック期のファンはEMI初期とユニバーサルシグマ移籍後の音楽を、そのポップな意匠からキャニオン期と同列に見るかもしれない。しかし、それは違う。どんなにポップであってもその芯に、作詞者・宮本浩次の思いがこもっている。キャニオン期の作品がよりフィクショナルであるのに対して、EMI期よりあとの作品はエピック期同様に私小説的な思いに戻っているのである。

ただ、がっかりしないでいい。 キャニオン時代の楽曲はライブ演奏の中でエバーグリーンなのである。どの時代のライブでも揺らぎのない完成度で、発表当時のかがやきを残している。だから、新しい楽曲としてキャニオン時代のような作品が出てこなくても、【悲しみの果て】【風に吹かれて】【四月の風】は披露されるたびに、いつも同じ印象で再現される。

ちなみに、他のアーティストがカバーするのは、たいていPONY CANYON時代の楽曲である。というのは、誰が歌っても楽曲のよさが出やすいのが、この時期の曲だからである。その理由は既に述べてきたように、宮本浩次の私小説的な色合いが少ないからだろう。

この項目を下書きしているときに、聞き捨てならないブログを見る。
兵庫慎司である。(http://ro69.jp/blog/hyogo/28567

「しかし、こうして聴くと、宮本浩次、あんなにボーカリストとして破格な
キャラクターなのに、「俺が歌わないとどうしようもない曲」は
作らない人なんだなあ、普遍的に美しい曲ばかり作る人なんだなあ。
と、改めて思う。」


これは誤解だろう。キャニオン期に関してはピッタリあてはまっているし、『ライフ』もぎりぎり加えてもよいかもしれないが、エピックとEMI期は明らかに歌う人を選んでいる。おいおい【ガスト】は?【ハロー人生!!】は?【パワー・イン・ザ・ワールド】は?【珍奇男】は?【曙光】は?【男は行く】は?ポピュラリティーの高いユニバーサルシグマ移籍後だって【まぬけなJohnny】や【おかみさん】など、唯一無二の曲って多いが…。そもそも、キャニオン期以外の曲のカバーがあるのは、デビュー15年記念のトリビュートアルバム『花男』だけである。しかも、エレカシのカバーはエレカシ・ファンには評判が悪いということに定評がある。
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