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蔦谷アレンジへの誤解 [分析]

蔦谷好位置がエレカシに関わると楽曲がJ-POP風味になる、という誤解が存在する。
(「偏見」という表現を「誤解」に訂正します。先入観の問題かな、と考え直しました(4/26))

ユニバーサル移籍後のエレファントカシマシの作風がPOP寄りになったことは間違いない。そして、その作風の協力者として蔦谷好位置が現れたことも否定しない。だが、作風の変化は蔦谷好位置だけのせいではない。エレカシ自身、宮本自身が、より多くのリスナーに届けるためにPOPな作風を選び取っているということが作用しているのである。もちろん、レコード会社や事務所の意向もあるのだろう。だが、エレカシ・メンバーも同意した上でやっていることは間違いない。つまり、総意として現在の作風ができあがっているのである。

ところで、蔦谷好位置の関わった楽曲は本当にPOPS寄りばかりなのであろうか?





おそらく、エレカシ・リスナーが蔦谷好位置のプロデュースで連想するのは、【笑顔の未来へ】【ハナウタ】【今はここが真ん中さ!】などに代表される、明るめの楽曲である。これらの楽曲の印象が強いために、近作のPOP風の作品はすべて蔦谷好位置の主導するものと勘違いしている人たちがいるように思われる。しかし、それは完全な誤解である。たとえば、前掲の3曲にも通じる明るい曲調の【新しい季節へキミと】【to you】【It's my life】などは彼のプロデュースではない。【新しい】は亀田誠治、【to you】はYANAGIMAN、【It's my life】は生駒龍之介のプロデュースである。

では逆に、近作のうちで評判のいい荒々しい楽曲は、誰がアレンジとプロデュースをしているのだろうか?
(これを見れば蔦谷アレンジに対する誤解の一端が判明する)

【さよならパーティー】
編曲:蔦谷好位置/エレファントカシマシ プロデュース:蔦谷好位置
【FLYER】
編曲:YANAGIMAN/エレファントカシマシ プロデュース:YANAGIMAN
【おかみさん】
編曲:亀田誠治/エレファントカシマシ プロデュース:亀田誠治
【ジョニーの彷徨】
編曲:蔦谷好位置/エレファントカシマシ プロデュース:蔦谷好位置
【ネヴァーエンディングストーリー】
編曲:蔦谷好位置/エレファントカシマシ プロデュース:蔦谷好位置

【FLYER】【おかみさん】にこそ関わっていないものの、ほかの楽曲は編曲/プロデュース共に蔦谷好位置である。作品への評判はPOP寄りの作品よりだいぶ評価が高いが、そのことで蔦谷好位置が評価されている文章を読んだことがない(私の調べが足りないのかもしれないが)。

前者のPOP風味の楽曲と後者の比較的評判のいい楽曲とで、蔦谷好位置の作品への関わり方が変わったとは思えない(編曲、プロデュース、鍵盤奏者)。にもかかわらず、作風に差異がでるというのはどういうことか? たとえば、【FLYER】のYANAGIMANにしても【おかみさん】の亀田誠治にしても、蔦谷好位置と同じようにPOPSサイドの楽曲を同時にプロデュースしていることはどういうことだろうか?

それはつまり、POPな作風がプロデューサーの発案ではなく、エレカシ(もっと具体的に言えば宮本浩次)がプロデューサー達に対して「こんな風にしたい」と発注していることを間接的に証明していることになる。それゆえ、たとえPOP風な作品が得意と言われる蔦谷好位置のプロデュースであっても、その発注しだいによっては、【さよならパーティー】【ジョニーの彷徨】【Sky is blue】のような男っぽい骨っぽいサウンドにもなるのである。

そもそも、蔦谷好位置は(かなり誤解をされているが)激しいロックに対しても造詣が深い。たとえば、エレカシに関わる以前からバンドメンバーとして活躍している「NATUMEN」というバンドは、フランク・ザッパのような即興演奏を混ぜた壮絶な演奏で知られている。嘘だと思うなら、動画サイトYOUTUBEで確認されるといい。

蔦谷好位置が軟派なPOP好きだというのはまったく根拠のない誤解である。もちろん、POP寄りのアレンジに精通して、それを得意にしていることは否定しない。だが、蔦谷好位置の作風がすべてPOP寄りであり、POPS畑の住人であるというのは大きな勘違いである

蔦谷好位置を非難する人たちの意見のなかで、比較的共感できるのは、ライブに際して6人編成(鍵盤+サポートギター)があまりにも恒常的すぎて、本来の4人編成オリジナルのサウンドを聞く機会が激減してしまったという鬱憤である。6人編成が今のエレカシのツアー・バンドのスタイルであることを認めるにしても、全曲を6人でやる必要はないのではないか、という疑問は私も強く感じるからだ。ほとんどの楽曲を6人全員でやることについては、エレカシの「バンド内不和」の時期への反省が関係しているように想像される。「バンド内不和」の時代というのは、宮本がリズム隊にステージ上で演奏させなかった時期のことを指す。そのことがメンバーをひどく傷つけたことに対する宮本の反省が、ステージ上のメンバーは全員参加という方針なのだと思われるからだ。それにしても、ほぼ全曲参加というのはやり過ぎな気がする。「ギター・バンド」としての本来の荒々しさが影を潜めてしまうからである。4人編成もあっていい、6人編成もあっていい、という形ならファンのPOPな作風への鬱憤も少しは晴れるかもしれない。

【笑顔の未来へ】【桜の花、舞い上がる道を】なども、4人で演奏されると全く別の表情、力強い内面があふれた男っぽい曲になるから不思議である。ただ、そういう特定のファンに向けたいつもの演奏だけに留まりたくないと感じた、宮本やメンバーの意気地も分からなくはない。お馴染みだけしかいない料理屋の店は、馴染みでない人間には旨いのか不味いのか判断がつかない。そういうことから抜け出したいと思ったのだろう。名古屋E.L.Lで同曲の4人演奏版を聞いた私は、どうしてもそう思う。

現在、2008年初頭に宮本が出演した松任谷由実のラジオ番組を文字起こししているのだけれど、その中の発言に「鍵盤楽器が入ると、歌のメロディを大事に歌える」という下りが登場する。つまり、鍵盤楽器を全編に導入するのは、歌を大切に歌ってメッセージを確実に届けたいという宮本浩次の強い意志の下に行われている判断である。蔦谷好位置が無理やりに、全編弾きたいとい言っているわけではないと私は考えている。だから、蔦谷好位置のプロデュースや鍵盤が嫌いなら、それは宮本浩次宛てに突きつけるのが筋である。デビューしたての新人バンドではないのだ、プロデューサーを押しつけられているなどという妄想は捨てて、現実を直視すべきである。今のエレカシは、彼らが望んで描いている姿のひとつである。

【笑顔の未来へ】の騒動でも少し触れたが、
全曲を平等にファンが愛する必要はないと思うのだ。
別に嫌いなら嫌いでいいと思うが、
作風が嫌いなことを誰かのせいにしたり、
あるいは自分の好みの作風にアーティストを染めても、
何のよいこともないだろう。
作品の質が劣化したり、自分の好みでないと思ったら、
作品の購入をやめたり、しばらくライブから足を遠のけたらいい。
それで何か問題が起こるわけではない。

私は蔦谷アレンジが好きだ(曲にもよるけれど)。
蔦谷鍵盤も基本的に歓迎だが、
初期のエピックのギターサウンドには少し合わないような気はする。
とくに『浮世の夢』までは、
聞き慣れた録音盤に鍵盤楽器が入ってないだけに、
浮いてしまうのがよくわかる。
あとはアルバム『俺の道』の収録楽曲にも鍵盤は合わない。それくらいだろうか。
【笑顔の未来へ】【ハナウタ】はPOPSサイドの傑作だと思う。
【さよならパーティー】【ジョニーの彷徨】はROUGHサイドの傑作だと思う。

エレカシファンが『good morning』のなかでも愛してやまない【コール アンド レスポンス】が頻繁に再演されるようになったのは、蔦谷好位置がこの曲を気に入っているということが作用しているのを心に留めておいたほうがいい。蔦谷好位置は案外とロックサイドのエレカシの楽曲が好きで、おそらくセットリストをつくる参考意見を聞かれた時には、ファンが好きそうな古い曲をも挙げているに違いない。

ミュージシャンの作風を変えたいなら…。
いちファンの意見として、制作者を説得する
自分がそのミュージシャンの制作チームに加わる。
ミュージシャンを援助するスポンサーになる。
(そのことによって、レコード会社ないし所属事務所に影響力を持つ)
最低でもそのどれかを貫徹しないと、それは実現しない。
そしてそれが実現しないからといって、いつまでも愚痴っているのでは、
いつまでも聞いていて楽しくないだろう。

気晴らしに他の音楽を聴いてみたらどうだろう?
エレカシを「One of Them」にしてみたら、
翻って色々な良さや悪さが見えて、気楽になれるかもしれない。(了)

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