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アルバム『DEAD OR ALIVE』 [アルバム]

《これは、エレファントカシマシDBに掲載した自著の流用した、作品鑑賞記録です。または「手抜き」とも言います。》
2002.12.26
DEAD OR ALIVE

初版 CCCD : BFCA-75009 ¥1,500(tax in.) 
再発 通常CD : TOCT-26877 ¥1,500(tax in.)

『DEAD OR ALIVE』

プロデュース : 宮本浩次
アレンジ : エレファントカシマシ

1. DEAD OR ALIVE
2. 漂う人の性
3. クレッシェンド・デミネンド -陽気なる逃亡者たる君へ-
4. 何度でも立ち上がれ
5. 未来の生命体


1 DEAD OR ALIVE

洋楽のテイストをエレカシも強く意識しはじめたのだな。そう強く感じた。しかし、歌詞はepic時代を彷彿とさせるような私小説の世界。このギャップの混在にくらくらした覚えがある。epic時代の私小説的文学ロック、pony canyon時代の叙情溢れる歌謡ロック、そして【ガストロンジャー】で切り開いた再びの攻撃性と洋楽にも似た歌い上げない乾いた曲調。それがここではうまく混じり合って混沌を描き出している。とにかく、バンドとしての行く末やロックのあり方などを葛藤していた様子が、如実に現れている。しかし楽曲は洋楽然としている。とにかく、ライブバンドとしてのいきおいを取り戻した1曲である。一言一言が、決めゼリフとして成立する。そんな密度が『DEAD OR ALIVE』の楽曲の歌詞にはある。

2 漂う人の性

文学テイスト漂う歌詞をあつかいながら、歌謡曲にも長唄風にもならないのがこのミニアルバム発表時のエレファントカシマシだった。「夢から醒めし人よ 生まれたばかりの人」、この考え方は『扉』の【必ずつかまえろ】につながってゆく。この歌くらいから、「目覚め」ということに強い意識を延した歌詞が多くなっていく。【so many people】で革命は瞬間の積み重ねと歌った宮本であるが、革命とは「夢から醒める」ことではないかと呼びかけている。歩みを進めよという声の強さ。「素直であるとは戦わぬことなのか?」この頃からの問いかけは、アルバムを重ねるごとに重くなる。最後半の台詞の挿しこみは、【soul rescue】のそれに似ている。

3 クレッシェンド・デミネンド -陽気なる逃亡者たる君へ-

胸騒ぎのドラムから曲が幕を開ける。そして、何事かが起りそうな胸騒ぎのギターが加わってくる。とにかく、この曲はミヤジのギターと石君のギターの絡みが魅力的な楽曲である。そして、冒頭から胸に刺さる一言をずばり。「世の中にあるものすべてがメッセージよ」。人生は一幕の芝居に似ている、といったシェークスピアばりの箴言である。【ガストロンジャー】で世間に呼びかけたあの力強さ、「さあ、勝ちに行こうぜ!」という思いがまだ息づいていることをしめしている。それを端的に示すのが、「でも感じているだろ心の奥の真実の声を それがメッセージ」という一行である。世間の正義ではない、自分の正義を、自分の真実を求めて進め。1stアルバムから変わることのない価値観が、ここでも展開されている。「感じろ 考えろ 思え そのメッセージを」「負けるな 戦え もう一度 出かけてけ」。こんな歌詞を歌ったロックバンドがかつてあっただろうか。内省とアジテートが共存している希有なバンド、それがおそらくエレカシという日本にも、世界にもまれなロックバンドである。『DEAD OR ALIVE』の楽曲のなかでは一番突き抜けていて、混沌の中に光を見る曲である。「疲れた時には孤独になれ」とは至言。「この世を超えてゆくものあるとせば 心の奥のやさしさ」もまた至言。決めゼリフが決まる男、宮本浩次の真骨頂。

4 何度でも立ち上がれ

『俺の道』につながる自虐的な内省を含んだ歌詞が印象的である。「太陽」と「出かける」がこのミニアルバムの大きなモチーフであるけれど、それを直球的につなぎ合わせたのが、【何度でも立ち上がれ】である。「さらに大きな理想を掲げて行け」。この思いはepic時代の『5』の中ですでに萌芽していたのだが、それが青年を抜け出した壮年を意識することによって、さらに切実さを伴って迫ってくる。自分たちが社会の担い手の一部だという、その自負のようなものだ。「でも、見て皆よ 太陽はのぼりくる」とは、歌詞のイメージも理想への血潮も【曙光】のそれではないか。だが、印象がずいぶん違うのは、言葉を刻む作者の年輪だろう。【曙光】は背伸びをする、大志を抱く青年のまなざしだが、【何度でも立ち上がれ】は壮年の不屈の誓いのようなものだ。エレカシはこの思いを通じて『扉』に辿りつき、それをくぐって『町を見下ろす丘』という到達点まで至る。

5 未来の生命体

とてもシュールで、この歌の内容を歌詞だけで理解するのはとても難しいだろう。しかし、エレファントカシマシの歌を聞き込んだものであれば、その言わんとするところはわかる。東京という日本の片隅、地球にしてみればちっぽけな街、宇宙にしてみれば砂粒よりも小さい存在の町で、生命や歴史や世界を描いている男。文明のはざまの生命体。「この人生は惰性」そうシニカルにつぶやきもする。「すべてを未来に預けてきた俺の信頼裏切る36年」とは、痛烈である。同業者からの賞賛、【今宵の月のように】での商業的成功を身にまとう、そんな人物には似つかわしくないほどの自虐である。だが、そこで宮本は反転する「でも停滞と病を経て今 自ら落ちてゆく我が身を見る好条件」。「俺は俺を生きている」。弱さも強さも、失敗も成功も、どんな出来事も自分を形作る歴史、生命体としての生きるあがきなのだと。これは【花男】の続編である。そして、【コールアンドレスポンス】の兄弟篇である。さらにいえば、【生命賛歌】と【パワー・イン・ザ・ワールド】の父親でもある。


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コメント 2

かーちゃん

こんばんは!
「DEAD OR ALIVE」
冬の受験シーズンに高校からの家路までたどり着くまで
ずっとこのアルバムリピートして聴いていました。
(やたら「堕ちる」とか多かったですがそんなの関係ない)
特に「未来の生命体」!!(まぁそこは東京ではなかったですけれども)


模試が返ってきたりして「どうせ自分なんかこんなもんか」とか思ってた時で
それが惰性だったりもうしらけ顔で自分を観てた頃に未来の生命体!
歌詞自体は励ましてくれるっていうよりも
冷静かつ我武者羅に超えろ、行けというメッセージが私の強気へと繋がるのでした。


よく聴いた理由も一曲目が「DEAD OR ALIVE」
「まだまだ!」ってとこが一番のエールだったのかもしれません。







by かーちゃん (2010-10-03 19:24) 

黒のシジフォス

返信おくれて、ごめんなさい。

『ライフ』の次にこのアルバムがあることに、意味がある。
バンドが敬遠されていたEMIの初期2作のあと、
この作品からエレカシのバンドとしての力量が発揮され始めたのだ。

内容はダウナー系なのに、なぜか力強い。
「墜ちている」のに、「日々を超える」意志が宿っている。
【未来の生命体】は久しぶりに飛び出した「ささくれ」ソング。
これが聞きたかった。こちらのエレカシもまた真実と喝采したのを覚えている。
このアルバムあたりから、本格的にライブに参戦しはじめたので、
思い入れがある。

「この世を超えていくものあるとせば
 ココロの奥のやさしさ それがメッセージ それがメッセージよ」

これとか、名文そのもの。
『DEAD OR ALIVE』には名言・名句が詰まっているね。
by 黒のシジフォス (2010-10-08 00:30) 

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