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思案の末にもとの道 [つれづれ]

国立博物館の「写楽展」に絡めてだろうが、
日本放送協会(NHK)が「写楽~天才絵師の正体を追う~」という番組を放映した。
写楽というのは、東洲斎写楽という雅号を持つ絵師で、
短期間のうちに百十数点の作品を発表して、忽然と姿を消した、
謎の浮世絵師と言われている。
浮世絵販売の店としてよく知られた「蔦屋」。
その「蔦屋」と専属契約して作品を販売していたが、
モデルとなった役者からの評判が悪いというので、
画風を次第に変えながら、忽然と浮世絵界から姿を消してしまった絵師であるから、
その正体が誰であるのかが、未だに争論のなかにある。




番組の整理によれば大別して3説があるという。

(1) 阿波藩・蜂須賀家おかかえの能役者である斉藤十郎兵衛
(2) 有名絵師の変名(葛飾北斎、喜多川歌麿など)
(3) 版元蔦屋の主人である蔦屋重三郎(じゅうざぶろう)



番組はもろもろの経緯から、(1)が有力ではないかと結論するのだが、
その推論にいたるまでがなかなか面白い。そして説得力もある。
ただ、「斉藤=写楽」説を確定するまでの根拠は、残念ながら見つからない。
斉藤家から、下絵の代金受領証が見つかったわけでもなく、
肉筆の描きかけの下絵が見つかったわけでもないからである。
だが、筆致や住まい、素性などの状況証拠から、
おそらく斉藤十郎兵衛でまちがいないと思わずにない。

しかし、彼でなければ、手がかりのない誰かの作品となってしまい、
そうするとさらに写楽を見つけるのは困難になるだろう。
そうだとしても、その説がまったくありえないわけでもないから、歴史はミステリーである。
考えてみていただきたい、
あれだけの点数を書き残していれば、絵描きの才能があるのだから、
斉藤家にそうした掛け軸なり扇絵なりのひとつもあろうはず。しかしその類の証拠はない。
いや、絵でなくてもよい。
肉筆画に記された添え書きがあるのだから、
斉藤十郎兵衛の直筆の文字さえあれば、筆跡鑑定がおこなえるだろう。

話は変わる
「ツタヤ」つながりから蔦谷好位置である。
蔦谷さんはよく蔦屋(つたや)重三郎(じゅうざぶろう)の「蔦屋」と誤記されている。
レンタルショップの「TSUTAYA」は蔦屋重三郎のそれをもとに名付けられている。
蔦谷さんは写楽展にすでに足を運んだらしく、
展覧会をラジオで紹介した旨のブログ記事を見かけた。
となれば、ツアーの日程上、帰京している宮本氏、
写楽展に足を運んでいる可能性は高いであろう。

黄表紙や浮世絵、古地図に造詣の深い宮本浩次、
おそらく東洲斎写楽の作品やミステリについても、きっと一言(いちごん)あるに違いない。
話し出せば、汲めどつきせぬ思い入れの数々であろう。

ちなみに説明するまでもないだろうが、
西欧人がその芸術性を高く評価するまで、浮世絵や草紙のたぐいは、
邦中ではなぜか下賤の価値の低いものとして扱われていた。
ゆえに、ふすま張りの破(や)れふさぎや、
子どもの揚げる凧の素材などとしてぞんざいにあつかわれた。
第二次大戦後においてもそうであるから、
貴重な浮世絵の多くは障子やら唐紙やらの補修に使われてしまったのである。
何せ新聞広告や東スポのような位置づけにあった、庶民芸術であるから、
そこで暮らすものには他愛のないものだったのだろう。

エレファントカシマシの作品には『浮世の夢』というアルバムというものがあるが、
浮世絵や絵師そのものをとりあげた作品はいまだないように思う。
浮世絵に造詣のふかい宮本浩次、いつか浮世絵の歌もつくって欲しいものだ。
安直にいえば、「浮世絵男」などであるが。

くだんのNHKの特集放送は以下の日程で再放送されるので、
興味関心の方はぜひご見聞あれ。

2011年5月14日(土)  午後3時40分~4時29分 総合
浮世絵ミステリー 写楽 ~天才絵師の正体を追う~
初回放送 2011年5月8日(日)


本項目の表題の由来は、
推理推測というものは始まりの印象や有力情報がたいがい真相に近く、
深読みして細道を探るほどに本筋から遠くなり、
いちど本道に立ち返れば、なんだ返ってはじめの推理がいちばん正答である、
という戒めのような経験則である。
地図なしに見知らぬ土地を散歩していても、たいがいそんな塩梅である。
こちらへ行ってみよと誘う横道は、たいがい大外れなのである。
(了)
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