SSブログ

『愛と夢』から『ライフ』まで [分析]

エレカシにはバンド経歴上に不幸な時期があった。それが『愛と夢』から『ライフ』までの期間である。その期間がなぜ不幸であるのかといえば、アーティスト・クレジット上は「エレファントカシマシ」であっても、アルバム制作上の過程を見る限り「宮本浩次」のソロ作品にほかならないからである。

エレカシの音楽的変遷に上下動がはげしいことはよく知られているが、この『愛と夢』から『ライフ』までの期間は、バンド史上のなかでも特に異質な印象のサウンドをしている。端的にいえば、バンドの音が鳴っていないのである。

『愛と夢』からなぜバンドの音が聞こえなくなったか、それには宮本の音楽嗜好の変化が反映している。音楽制作上、プロ・トゥールスを含む打ち込みサウンドの取り入れをはかった時期で、その影響を受けて、ドラムやベースなどリズム隊の出番が少なくなったのである。とくに冨永ドラムの不在の影響は顕著で、3枚のアルバムにおけるドラム・サウンドがまるで別物なのは、ひとつは打ち込みのドラムやループの多用があり、もうひとつは冨永が叩いていても宮本の指示するものを機械的に叩かされていると思われるからである。それは冨永にとっては、まるで存在を否定されるかのような苦行の時であったであろう。

ベースの高緑にしても、冨永同様にリズム隊であるから、3作品における存在感の希薄さは否めないが、もともと縁の下の力持ちであった高緑のベースは、ちょっとした場所であってもきちんと存在感のある音を鳴らしている。その意味で、冨永ほどは排斥されていないのである。
エレクトリック・サウンドになってかえって存在感が増したのが石森敏行である。スタジオ制作前のデモをつくるにしても、スタジオの機材の調整にしても、彼が宮本の苦手な機材調整のマニピュレーター役であったからである。そして、打ち込みによって自在に組み立てられたリズムトラックに、ギターフレーズを乗せていくときに、よりいっそうにギターがフューチャーされることになり、宮本&石森ギターの独擅場(どくせんじょう)というような様相を見せたのが、アルバム『good morning』である。

続きを読む


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。