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蔦谷アレンジへの誤解 [分析]

蔦谷好位置がエレカシに関わると楽曲がJ-POP風味になる、という誤解が存在する。
(「偏見」という表現を「誤解」に訂正します。先入観の問題かな、と考え直しました(4/26))

ユニバーサル移籍後のエレファントカシマシの作風がPOP寄りになったことは間違いない。そして、その作風の協力者として蔦谷好位置が現れたことも否定しない。だが、作風の変化は蔦谷好位置だけのせいではない。エレカシ自身、宮本自身が、より多くのリスナーに届けるためにPOPな作風を選び取っているということが作用しているのである。もちろん、レコード会社や事務所の意向もあるのだろう。だが、エレカシ・メンバーも同意した上でやっていることは間違いない。つまり、総意として現在の作風ができあがっているのである。

ところで、蔦谷好位置の関わった楽曲は本当にPOPS寄りばかりなのであろうか?



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続・「ああ」についての考察 [分析]

前回項目で歌詞中の「ああ」に関して述べたが、論旨が整理しきれていなかったことで、誤解を招いたところがあるので、弁明方々、追伸を述べたいと思う。

 前回の項目で言いたかったことは主に3つ

(1)エレファントカシマシの歌(歌詞)には「ああ」が多く存在する。
(2)「ああ」は、おそらく歌詞を埋めきれなかった部分を補填する窮余の表現(すべてではない)のひとつ。
(3)「ああ」は表現としては空白に等しいが、歌のなかでは歌唱力によって如何様な感情をも表現しうる。


前回項目が慣用句の「苦しいときの神頼み」を捩(もじ)って、「苦しいときの『ああ』頼み」としたばかりに、安易な苦し紛れを非難しているように一部の方に誤解されてしまった。これは、ひとえに私の説明不足なので反省しなければならない。申し訳ありません。




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苦しいときの「ああ」頼み [分析]

エレファントカシマシの歌には「ああ」が多いということは、少し聞き慣らせば誰でも気付く。(いや、気付いていないのかな? 今回ブログで項目を立てるに当たって、誰か書いてないか調べてみたが、検索エンジンに引っかかるほど著名な項目にはなかった)。

その「ああ」の七色の表現と声音(こわね)の美しさに惹かれるので、だいぶ騙されてしまうのだが、「少し多すぎはしないかい?」と尋ねたくなるのも道理。

エレファントカシマシの歌は音数に対して言葉数が多いことも知られている。エピックやキャニオン時代は音数に言葉を合わせているのだが、EMI移籍以降は、歌詞を力業(ちからわざ)でメロディに乗せていく曲が少なくない。ところが、音に対して言葉数を詰め込むタイプの作詞家である宮本浩次ではあるが、余った音を埋められず窮余の策で「ああ」にすることも少なくないのである。

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最近のセットリストについて [分析]

おもに3パターンあると思う
1. イベント用セット(ヒット曲+直近アルバムの曲) 2. アルバムツアー用セット(アルバム曲+ヒット曲+レア曲) 3. 特別ライブ用セット(レア曲+代表曲+やりたい曲)


最近のセットリストは観客の期待に応えようとしている。そのことをヒシヒシと感じる。一昔前、5年くらい前には、観客の期待よりも、自分がやりたい曲を前面に出していた宮本の選曲が、常識におさまる範囲に変わってきたからである。

たとえば、イベント・ライブで全曲新曲とか、対バン・ライブで発売前の新曲のみとか平気でやったものだし、そこまでいかないまでも、歌詞のない仮歌をイベントでよく披露していた。それはファンにとってはうれしいサプライズだけれど、それ以外の観客には何のことかさっぱりわからないだろうし、そもそも代表曲やヒット曲をやらないとノリについて行けない。とくにフェスで全部新曲は自分勝手だ。せめて1曲ないし2曲、認知の高い楽曲をまぜるだけで、観客はちゃんと了解するのだから。最近そのことは理解してきたようで、無茶はしなくなっている。それだから、フェスセットのなかでサプライズ曲がある、というエレカシファンの楽しみは減ってきているように思う。

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意気込みは冒頭曲にあり [分析]

エレカシのオリジナル・アルバムは2009年の段階で19枚あり、約20枚のキャリアがある。デビューしたEPICに7枚。PONY CANYONに3枚。EMIに7枚。universal sigmaに2枚。以上で、合計19枚である。

各所属レーベルにおけるエレカシ・ファンの分析において、すでにバンドの音楽傾向らしきものについても軽く触れた。どのバンドにおいてもそうであるが、会社を移籍するということは、単に制作体制が変わるだけではなく、移籍を契機にしてあたらしい音楽性に変化しようとするのが一般的である。エレカシもその一般的な傾向に通じた変化をしている。それはCANYONへの移籍を例に取るまでもない。

しかし、私はエレカシの本質はファースト・アルバム以来ゆらいだことはないと理解している。それは、音楽的なアレンジの変化とはまったく別のタイプの、音楽の核心部分にある共通性である。
そのことを、宮本は何度となくMCで、「自分たちは同じことを何度も違うカタチで表現している」と言っている。そう、エレカシの歌の内容はファースト・アルバム以来ほとんどブレていないのだ。

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