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秋の夜空に輝く月を [分析]

「太陽」、「星」に続いて、満を持しての「月」の歌の登場である。
  「太陽」は「エレファントカシマシと太陽」を御参照あれ
  「星」は「星見る夕べ」は御参照されたい。

すでに「太陽」の回で触れたことだが、
エレファントカシマシの作品に於ける「太陽」「月」「星」の登場数は、

「太陽」<「月」<「星」

ということになる。

「月」は「太陽」の次に登場回数が多い天体なのだが、
われわれリスナーが思っているよりはずっと登場回数が少ない。
今回のこの企画にあたって数え直してみたのだが、
わずか25曲しかないのである。もっと50曲とか80曲とかあるのかと想像していたのである。
総楽曲数が200曲を超えるエレカシ作品の中で、わずか25曲である。
25曲という数は、イメージする「月」の歌の数量よりだいぶ少なくはないか。
エレカシの夜の歌といえば、「月」と「星」という印象だが、
必ずしも登場しないばかりか、案外に登場回数も少ないのである。

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「俺」と「私」と「僕」と「我ら」 [分析]

あるとき、知人からエレカシの歌の主人公は「僕」が多いね、と言われたのである。
そんなことはない「俺」がダントツ一番に主人公だ、そう言い返したかったのだが、
手元にそれを証明するものが何もなかったので、これまでの分析同様、
またしても一つ一つカウントしてみたのである。
(この手の統計は、ファンのあいだでしか流通しない本当のトリビアイズム[無駄知識]である)

まあ、それはいつものことだからよいとしよう。

結果から言おう、エレカシの歌の主人公は「俺」がダントツ(60%)である。
つまり2曲に1曲は「俺」ということになる。
そして、25%が人称代名詞「なし」、つまり判別不明の主人公である。
この二つですでに8割を占めている。
では、「僕」はどのくらい登場するのかと言えば、「僕ら」を含めても10%がよいところ、
10曲に1曲くらいの割合でしか存在しないのである。

つまり、「エレカシの歌は「僕」が多いね」は、偏見であることが確定したわけである。
少なくとも「僕」の6倍は「俺」の歌があるのだから、
エレカシは「俺」歌の歌い手として認識されなければならない。

カウント・データを載せておこう。
人称代名詞別の楽曲のカウントは次のようになる。

「俺」133曲(60%)
「僕」―27曲(12%)
「我」―5曲(2%)
「その他」―2曲(1%)
「なし」―56曲(25%)

(「オレ」「俺たち」「ぼく」「我ら」等表記違いを含む、重複も各1カウントとした。
重複カウントのため、楽曲数が実数より上増しになっている。)

本編はここだけで終わり、後は余談になります。
お暇な方だけどうぞ。(忙しい方と独断が嫌いな人にはおすすめしません)

続きを読む(余談)


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星見る夕べ [分析]


エレ歌詞の中の「太陽」というテーマで一項目書いたことがある。
こちらから

その続編として、「月」ではどうかと考えてみたのだが、それではあまりにありきたりなので、あえて「月」を飛ばして「星」を調べてみることにした。すると、21曲存在することが判明した。そのうち、【星の砂】だけは比喩としての星であり、いわゆる「お星さま」とは別の「星」のような気がするので、これを除いて20曲ではないかと考えるに至った。

「星」がはじめて登場する楽曲は、例外をふくめればファースト・アルバムの【星の砂】であるが、夜空の「星」としては3rdアルバム『浮世の夢』のラスト【冬の夜】である。最初の登場ながら「遠すぎて星も見えず」と、なかなか肩すかしを食らう。つづいて登場するのが【シャララ】、さらに【星の降るような夜に】である。EPIC期には7枚のアルバムで3曲しかない。つづいてCANYON期であるが、【赤い薔薇】【恋人よ】【真夏の星空は少しブルー】の3曲しかない。CANYON期は「星」よりも「月」が夜を飾っているのだろう、「月」の夜は「星」が見えにくいから仕方がないのかもしれない。さて、EMI期は少し増えて7曲。現在のuniversal期が2枚のアルバムと6枚のシングル中に6曲、と徐々に登場回数が増えている。

最新シングル「幸せよ、この指にとまれ」の両サイドの楽曲に「星」が含まれていることからも明らかなように、「太陽」「月」にも並び立つくらいに重要な舞台道具として「星」の重要性が増していることがわかる。

以前にも触れたように、エレファントカシマシの歌詞は神話的であるから、星といっても実名で登場する星はない。オリオンとかシリウス、せめて「明けの明星(みょうじょう)」とか、北極星とか、知っていそうな星は考えられるのだが、頑なに「星」か「星空」なのである。

ところで、宮本御大は惑星と恒星の区別はついているのだろうか??

言うまでもないだろうが、「明けの明星」は金星のことであり、自分で発光する恒星(太陽と同じ種類の星)ではない。おそらく肉眼で確認出来る惑星は、地域にもよるだろうが土星くらいまでだと思うが、輝いて見えるのは金星>木星>火星>土星の順番らしい。地球の衛星「月」を想像してもらえばわかるが、これら太陽系の惑星は自分で発光はしないが、太陽の反射光でかなり明るく輝く。地球との距離が何よりその原因で、大きく明るく見える星というのは、だいたいはこの4つの惑星のどれかである。

惑星であろうと、恒星であろうと、衛星であろうと、人工衛星であろうと、「星」には違いない。太陽を楕円軌道で廻る小惑星「イトカワ」から7年の歳月を経て帰還した「ハヤブサ」が、たった一つのカプセルを届けるために、自分を燃やし尽くして「星」になったように、宇宙で一時でも光を放つならばそれは「星」と呼んで構わない。(これはもちろん詩情的な意味であって、科学的で厳密な規定を適用していうのではない)

さて、7月恒例の野音では、「太陽」「月」「星」、どの歌が一番多く歌われるだろうか?

(了)

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スタジオ録音盤の要(かなめ)はベース [分析]

以前「ライブの出来はトミにかかっている」という項目を書いた。
では、スタジオ録音の出来の良し悪しを握っているのは誰だろう?
私はそれはベースの高緑成治その人ではないかと睨んでいる。
(歌の出来の良し悪しは宮本浩次その人です。この場合は演奏面です。)

宮本浩次の弾き語りメインの曲をのぞいて、
エレファントカシマシの楽曲をソリッド(硬質)に鋭くしているのは、
高緑成治の無二のベース・プレイである。

高校時代に大量の脱退があり、
その補填のために高緑成治がベースとして加入、
その結果エレカシは現在の4人のメンバーとなり、
デビューまで進んだことは、よく知られている。

エレカシを現在のカタチに成らしめたその存在は、
いつも寡黙にベースラインを支えている、高緑成治その人である。
エレカシが今のカタチに進化したのは、
成ちゃんがバンドに加入した結果なのである。
それもそのはず、おそらくプレイヤーの技量として一番すぐれているのは、
誰あろう、ベース担当の高緑成治である。
少なくとも、私はそう感じている。
だから、エレカシから高緑成治のベースの音を消したなら、
それは途端にエレカシではなくなるはずである。
また逆に、ベースの音を鳴らすだけで、エレカシの楽曲が浮かび上がる。
それほど重要な要素であるが、控えめに黙々とリズムとメロディが刻まれている。

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エレファントカシマシと太陽 [分析]


 今、太陽はエレカシの新しい朝を照らしている。
 それは昨年のアルバム『昇れる太陽』が作品として高く評価されるだけでなく、 商業的な成功をもって受け入れられたことと照応している。

 エレカシの世界にとって太陽とはどんな存在なのだろうか?


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