SSブログ

ここは「女の園」か? [企画もの]

エレカシ今昔ものがたり。

話は私がいちばん最初に参加した2001年晩秋のツアーにさかのぼる。
当時のライブ会場の様子と言ったら、

女、女、女、女、女、女、男、女、女、女、女、女、女、

みたいな感じで、おそらく8:2で女性の観客と言っても過言ではなかった。
それで、男はといえば居場所を探して固まっている感じがあった。

たしか、2001年というのはテレビドラマ「Friends」出演の余波があるころで、
宮本目当て客がどっと押し寄せていた頃である。
その客席の女性率の高さと、年齢層の高さは、
現在では想像できないほどである。
Shibuya-AXのフロント・エリアに50代60代とおぼしき人たちをよく見かけた。



2009年現在では、その「女の園」は見る影もない。
男女比はいまだに6:4で女性のほうが比率が高いように見られるが、
あの7年前の8割近い女性陣ではなくなった。
あと、年齢層の構成比率もだいぶ変わって、
ドラマで宮本浩次のルックスに見そめて来ていたファンが、
淘汰されたような気がしている。
もともと、彼女たちは音楽のファンではないから、
EMI中期の激しい音楽の頃にいなくなったと推理している。

ずっと初期エレカシからライブに参加している人たちにも、
きっとあの2001年というのは異様なライブ会場だったはずだ。
何しろ、「女の園」であるばかりではなく、その化粧くささ。
終演のころには汗だくでドロドロである。
ライブハウスのフロント・エリアに、ドレスアップして、化粧バリバリ、
手荷物なども下げて並んでいたのだから、勘違いも甚だしい。
彼女たちは大量のロッカーの意味がわからなかったのだろう。

今より、そうとう大人しかった、フロント・エリアでも酸欠が出た、といったら、
J-PUNKのライブ猛者たちからは失笑がもれるだろう。
それくらい、スタンディングのライブの雰囲気ではなかった。
ちなみに、後ろはもっとすごい感じだ。
ガラガラだったということもあるが、休憩所みたいな印象のまったり感。
しかも、初期のAXは後方のドリンクエリアに灰皿があって、
煙草をすっていた記憶がある(これは間違いかもしれないので、注意)。
エレカシ聞きながら、酒や煙草で休めるか?
ZEPP TOKYOでさえ、後方までびっちり埋める現在からは、
まったく想像できない。

ちなみに、閑散度がいちばんすごかったのは、
いつかベストアクト&バッドアクトで記した、川崎クラブチッタ。
チケットが最近見つかって番号見たらB58番だったが、前から5列目で見られた。
しかも、フロアは半分埋まっているか埋まってないかの感じだった。
追加公演でかつ初日という、ちょっと不思議な日程だったが、
あの川崎の閑散ぶりは当時の人気低迷のなかでも別格だった。
ステージからも後方フロアの空間が見えたのではないか。
そうそう、その頃はもう女性比はそうとう下がっていて、
今の6:4に近いか、やや7:3に近いかという感じである。
ちなみに、扉ツアー初日は意外と男が多くて、6:4で男多しな会場だった。

今もきっとあるのだろうが、
2001年の入場口のプレゼント受付の花束の量は半端じゃなかった。
ジャニーズ事務所とはいかないまでも、
ちょっとしたTVアイドル並のような、テーブルに山盛りのプレゼントがあった。
最近のそっけない入り口からは全く想像できないでしょう。
それくらい、2000年2001年は何かおかしかった。

そのせいもあって、2002年はライフツアーに参加しなかった。
『ライフ』というアルバムはあんまりにソロ・ワークだったからである。
しかし、2002年に再びAXで見たライブは驚いた。
『DEAD OR ALIVE』の発売告知もかねたライブは、
おそろしくタイトで鬼気せまるものだったからである。
再びの「戦闘宣言」。それを知るのは少し後になってのことであった。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。