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冬の歌あれど、雪見あたらず [つれづれ]

久しぶりの書き込みになる。怠惰、怠惰。
前回にサイドマンのことなどを書いたのだが、
不勉強に鍵盤奏者の数を書いたものだから、チェックに時間を要している。
現在、確認したところ、アルバムのみなら9人なのだが、
シングルを含めると何人になるのか、調査中。
シングル『絆』のカップリングの【桜の花、舞い上がる道を】で、
島健さんが鍵盤を弾いているので、少なくとも10人以上の参加にはなるはずである。

それはさておき、本日は全国的雪模様である。
関東地方にも雪が降り、大風に吹雪いている。
ところで、エレファントカシマシの歌の中に雪は降っているか、
確かめてみたが、残念ながら雪景色はなかったのである。
以前、おぼろに数えてみたところ、冬の歌は約20曲あったのだが、
その中で雪降らずとも寒そうなのは、【冬の朝】の景色ではないかと思う。
吐く息が白く、やり場ない手をポケットへ押し込む景色が、
何とはなしに真冬の情景だからである。
(「真冬」という歌詞の歌もあるにはあるが。)

おそらく、これからの歌の中には雪景色もきっと出てくると思うが、
今のところは「ない」ということに、今更ながらに気づいて、不思議に思う。
情景としては日本的であるし、上野の山の雪景色なんて、
それは典雅だと思うし、ビルの街が白く染まるのも、
文学的な景色だと思うからである。

いつか歌われるだろうエレファントカシマシの雪の歌は、
果たしてどんな景色なのだろうか?
やはり東京の景色なのだろうな。
東京タワーか。不忍池か。はたまた、帰り道を急ぐ人波であるのか。

こんなに怠惰になってしまったのは、
更新しようとした内容のチェックやら、太宰治を読むのが忙しいやら。
図書館より借りだした『太宰治全集』の2巻中の「黄金風景」に感動した。
何とやさしい、しかし少し残酷な景色だろう。
やましさはやさしさに通じる。そんなごくごく短い話である。
筑摩の『太宰全集』なのだが、昭和30年の版であり、
表記が文語表記なのが味わい深い。
近年の版はおそらく口語表記になり、漢字も簡易体になっていることだろう。

「この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪へか。わかさ、かくて日に蟲食はれゆき、仕合せも、陋巷の内に、見つけし、となむ。」(「I can speak」より)


こういう何気ない名文が、文語表記のうちに著されるのに、
宮本御大がしびれるのはよくわかる。
太宰治は何気ない掌編におそるべき名文が潜んでいる。
あな恐ろしや。名品「富嶽」にしてから、井伏鱒二を訪うた滞在記の延長である。
実録と私小説の境目がないから罪が深い。
宮本御大の歌詞もときおり境がつかないから、
きっと本人にしかわからないフィクションと実録の境があるだろう。

雪が雨戸を叩いている。
こんな日には宮本御大は雪の歌でも書かないものであろうか?

(了)
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