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「エレカシ」と「つかこうへい」 [つれづれ]


劇作家・演出家・小説家のつかこうへいが去る7月10日千葉県の病院で他界した。享年62歳というから早すぎる死である。奇を衒いながらも、人間性の本質をえぐるその作品は一世を風靡し、小劇場ブームを牽引した。近年は商業演劇からやや距離を置き、東京都北区に北区つかこうへい劇団を構え、若手演劇人の育成に力を尽くしていた。黒木メイサや小西真奈美はここで鍛えられた。

つかこうへいは戦時中に職を求めて九州に来日した韓国人の両親の元に生まれた、在日韓国人である。本名は金峰雄〔キム・ボンウン〕という。日本国内での通名は金原峰雄〔かねはら みねお〕という1990年ひとり娘が誕生した年に、在日コリアンである出自を公表し、本籍を韓国に変更する。そのいきさつは『娘に語る祖国』に記されているが、のちに別に書かれた本によれば、あの本には幾分の脚色がなされているという。告白体ではあるが、ノンフィクションではないと釘を刺している。1990年当時、公式に在日コリアンであることを公言していた芸能人はほとんどいなかったが、つかこうへいのカミング・アウトを受けて続々その出自を公言する人たちが出てきた。

私が観客としてつかこうへいと出会ったのはまさにその時期であった。読売戯曲賞を受賞した「飛龍伝’90」を銀座セゾン劇場で見たのである。60年代安保闘争を舞台にした『ロミオとジュリエット』と言われるその作品は、敵味方のあいだの交錯した人間模様、単純には捌き切れない怨恨を描いていた。学生の革命への熱情と、機動隊員の職務への使命感、どちらも時代性のなかで先鋭化し、そしてぶつかっていたことを舞台のなかに再現して見せた。そして、10年ごとに自動延長される日米安保条約を前に、その是非を真剣に討議しなくなった日本社会に、「あの頃の情熱はどこへ行ったんだ!」と礫(つぶて)を投げるための作品であった。つかは「飛龍伝」の執筆動機を、学生運動家たちが「革命」運動をする中で、演劇というナンパなことをやっていた自分を恥じた気持ちと、しかし20年、30年した後になってその「革命」を捨てて経営者となって口を拭っている元・学生運動家たちへの叛意だと言っていた。

つかこうへいが学生運動の話で必ず引き合いに出したのは、糸井重里である。法政大学の中核派で受付をやっていたという糸井が、運動が終息すると資本主義の親玉みたいな電通に入って、給料をもらって、そのあとはコピーライターと称して言葉を売ってるのがなっとくがいかないと。自分たち演劇人が、学生運動当時に運動家からナンパを非難され、やましい気持ちの中で演劇を続けた、密かに「革命」を支援していた気持ちはどうしてくれるのか。落とし前をつけてくれ。そう、毎回、実名を出してインタビューに答えていた。

つかこうへいに出会った頃、私はまだエレファントカシマシには出会っていなかった。そう、つかこうへいに出会わなければ、エレファントカシマシに出会っていたかもしれない。とにかく、高校時代から大学に入るまでは、バンドのライブに通うよりも、小劇場の芝居を見に行っていた。

エレファントカシマシとつかこうへい。一見、何の関係性もないようだが、実は少しだけ関係がある。数年前、2003年広末涼子を主演に据えた「新・幕末純情伝」の中で、【風に吹かれて】が劇中挿入歌に使われたという縁がある。

つか作品と歌は切っても切れない関係性がある。それは一度でも作品を観た人ならわかるだろう。つか芝居では、作品中で登場人物達がマイクを握って歌うシーンが何度かある。どこか宝塚風の演出なのであるが、豪華な衣装やセットはなく、基本的には普段着、よくてスーツなのである。つかこうへいは役者とその演技が主役だから、その他の余計な物はステージにいらないと言って、背景やセット、衣装の大部分を切り捨てている。その代わりに、歌と身振りと照明が異常に派手なのである。主役を際立たせる。そのために、いらないものは全部捨てる。そんな作風だったのだ。

エレカシ(宮本)のステージとどこか共通するところがある。今となってみれば、そう思うことが少なくない。否、とても似ているから、私は90年代はじめ、EPICのエレカシに目がいかなかったのではないかと思う。つかこうへいの戯曲をパラパラめくればわかるが、【珍奇男】や【奴隷天国】のような挑発的言辞が満載である。たとえば代表作「熱海殺人事件」のテーマ「ブス殺し」についてもそうだ。全編で被害者を「ブス」呼ばわりしながら、しかしその被害女性を手にかけた犯人を許さない。許さないけれど、人倫を説く。「どうして、殺す前に踏みとどまれなかったのか?」と。どんな不道徳の人間にも人としての道を説く、愛をかける、それが見せかけではない激しい言葉となって現れるのが、つか作品である。

激しい言葉、激しいシニシズム、激しい罵倒を含みながら、その底にヒューマニズムが通っている。エレカシとつか作品、両者はその作風が似通っているのではないかと、最近気づいたときに、昨日に訃報を知ってしまった。折しも、私自身がこのブログのなかで、宮本と石森の関係性を、『蒲田行進曲』の銀ちゃんとヤスと言ったばかりである。

つかこうへいは作品で使用する劇中歌にとてもこだわる。だから、【風に吹かれて】を使用した時も、いくつもの候補曲のなかからエレカシを選択したのだと思う。世間のイメージよりはとても丁寧で礼節のある人だから、もしかしたら楽曲を使用する断り状を送り、劇場招待もしていたかもしれない。

宮本浩次はつかこうへいのことをどう思っていたのだろう?
あるいは、つかこうへいの芝居を観に行ったことがあるのだろうか?

つかこうへいの著作のなかに『人は幸せになるために生まれてくるのです』という作品がある。『娘に語る祖国』の語り口で、「熱海殺人事件」で表現したかったテーマを語り下ろした本だが、そのやさしい言葉のなかに、逆説のなかに隠していた本心がある。「ブス」「デブ」「ハゲ」「カマ」、そんな差別用語がならぶ台詞の背後に、「人は幸せになるために生まれてくるのです」という隠れたテーマがある。しかし、目の曇った人間にはそれが見えない。社会がイジメや排除に満ちた時には、隠くしていた本心をあえて表にさらけ出し、偽善者のそしりを受けながらも平気でいる。それがつかこうへいという作家だった。『娘に語る祖国』もそうだったらしい。

【幸せよ、この指にとまれ】と「人は幸せになるために生まれてくるのです」は、どこか共通したやさしさがあるような気がする。稽古中はとても激しい言葉で叱咤されることで有名だったつかこうへい。しかし、出演した役者からは、畏怖のなかでとても慕われていたという。そのような部分も含めて、宮本浩次とつかこうへいのあいだに重なる何かを見出している。これは単に私の気のせいかもしれないが。

興味を抱いた方は、ぜひつかこうへいの作品を読んで見て下さい。
新刊書店ではあまり置いていないかもしれないですが、古本屋の100円文庫コーナーに山のようにあるでしょう。バブル経済のあとで忘れられた、素晴しい作家の一人です。

おすすめはエッセイ集.
『あえてブス殺しの汚名をきて』
角川書店 (1979/10)  ISBN-10: 4041422051 ISBN-13: 978-4041422052
『傷つくことだけ上手になって』
角川書店 (1982/08)  ISBN-10: 4041422086  ISBN-13: 978-4041422083
『娘に語る祖国』
光文社 (1990/10) ISBN-10: 4334051782 ISBN-13: 978-4334051785
『人は幸せになるために生まれてきたのです』
光文社 (1996/09) ISBN-10: 4334052363 ISBN-13: 978-4334052362

などです。

(了)
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by Tiffsheds (2020-06-24 03:42) 

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