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アルバム『俺の道』 [アルバム]

2003.07.16

俺の道


『俺の道』

CCCD:BFCA-75010 ¥3,000(tax in.)
通常CD:TOCT-26878


プロデュース :  宮本浩次
アレンジ :  エレファントカシマシ

1. 生命賛歌
2. 俺の道
3. ハロー人生!!
4. どこへ?
5. 季節はずれの男
6. 勉強オレ
7. ラスト・ゲーム
8. 覚醒(オマエに言った)
9. ろくでなし
10. オレの中の宇宙
11. ロック屋(五月雨東京)
12. 心の生贄<シークレットトラック>


1 生命賛歌

日本または日本人を擬人化して歌い上げている。もうすこし正確にいえば、この国に生きている歴史の面影のようなものを、「オマエ」として呼びかけているのだ。だから、オレは宮本浩次であるがオマエは歴史とか伝統とか、ふつうに考えればつかまえどころのない漠然としたものをさしている。歌詞中にそれをさぐれば「ヒトの歴史」と「トチの愛」がそれにあたるだろう。よくよく歌詞を感じ取れば【ガストロンジャー】と【武蔵野】と同じ内容だと思って間違いない。しかし「賛歌」といいながらも、べらんめえにこれだけのイメージを叩きつけられたら、はじめてエレカシを聞いた人にはちょっと理解できないだろう。 私は【生命賛歌】を聞くと、詩人・北川冬彦の「雑草」という作品を連想する。曲間の叫びとハミングには思わず拳(こぶし)を握りたくなる。ミニ・アルバム『DEAD OR ALIVE』がかなり洗練された音作りだったので、はじめてこれをライブで聞いたときは、極北に飛んだなと感じた。 

2 俺の道

【DEAD OR ALIVE】の延長線上に飛び出した。恐るべき楽曲。宮本浩次の戦闘宣言である。【ガストロンジャー】が世間に対する批評であるなら、【俺の道】は無様を通す男の世間への決別とも取れる。「満たされないまま 引きずり回して歩け」とは、自我に対する省察である。「やつらにゃ言っておけ 俺は退屈なだけさって」、とは流行を追う評論家への唾棄である。【俺の道】はアルバム『俺の道』の核である、いったい自分はどこへ行くのか?という疑問を、一人称で叩きつける。「俺は燃え上がる日を待っている 俺の道を」。…とは、ふたたび高揚する時信じている、男のルサンチマンである。 この歌の魅力は美声をならす男が、しゃがれ声をさらに絞ってかすれるように怒鳴りちらす、命がけの歌唱である。しかも、いちばんの盛り上がりはスキャット、歌詞がはめこまれていないのだ。それはつまり言葉にならない思いが一番高ぶる思いであることの謂いであろう。

3 ハロー人生!!

アルバム『俺の道』出だしの3曲は、密接な関係を持っているが、いちばん肯定的に捉えているのがこの【ハロー人生!!】である。3曲のなかではいちばん道化的でしかも宮本個人の独白に近い。【俺の道】と【生命賛歌】はだいぶ格好をつけたあとがあるが、【ハロー人生!!】は正直な気持ちをそのままぶつけている。ただのちに書かれる【流れ星のやうな人生】のような突き抜けた明るさはまだない。『扉』につながっていく中年としての自覚、もう一花咲かせる決意がみなぎっている。ただ、【ハロー人生!!】だから、格好よくはない。無様で、不格好で、男臭い存在証明である。この頃の歌詞の文学づいた内容はエピック以来の深みを取り戻している。「日本」「克己」「生活」そんなテーマが再燃している。

4 どこへ?

これは不思議な歌である。ここに登場する<オマエ>は、どうやら心象風景における自分のうつしみ、<俺>の分身のようだ。テレビに出ている自分、ロック・スター的にスポットライトを浴びている自分の姿を、客観位置までさがって批評しているのではないか。「わがもの顔で」「ギラついて」胸くそ悪くなるくらいだった。そう自分に吐き捨てている。どうやらこれは、キャニオン時代の売り上げに邁進しすぎた自分への戒めのようである。だからこそ、この時期からプロモーションを一切しなくなって、ライブ活動に露出を絞ったのではないか。不器用の一言である。 【優しい川】【偶成】以来、ひさしぶりにドブ川が登場する。【土手】と【武蔵野】で登場しているのは一級河川・荒川であるが、ここに登場するのは町のドブ川である。ドブ川の汚れのなかに経済成長や欲望の爆発が込められていた。だから自分の生きてきた道は、浮世絵よりもずっとこちらに近いと、宮本は思っているようだ。「もう一回 再生だ」「もう一回 帰ろうよ」まで来ると判然とする、これは【花男】の続編である。だからこそこの時期のライブでは必ずしめくくりとして【どこへ?】を好んで歌っていた。それはこれが【花男】と同様の歌だからである。そして、最後にいちばんきつい一言が告げられる、帰ると言ってもどこに帰るんだ、「どこへ?」と。

5 季節はずれの男

男シリーズに連なる一曲。流行シーンから外れた自らを見つめて、【季節はずれの男】とネーミングしたのだろう。「俺は勝つ」。これは克己であり、メジャーシーンへの復讐戦のような心意気もあるのだろう。だが、つるむな「ひとり歩め」と言う。痛々しいまでの自分への視線、戒め、これが『俺の道』の特長だけれど、【季節はずれの男】は【俺の道】と並んでかなり早い段階で歌詞が付いてライブ披露されていた曲である。そのぶん、きちんと錬られている。「努力を忘れた男のナミダは汚い」。この言葉は胸に突き刺さる。「鳥が飛ぶように」はこの時期から宮本の大好きなイメージになったようで、以後何度となく登場する。 ラストフレーズ。「ライバルでなき友よさらば」が凛々しい。

6 勉強オレ

【ガストロンジャー】と【コール アンド レスポンス】は宮本版Hip-Hopであったが、【勉強オレ】は宮本版ラップである。しかもまったくといっていいほど、韻を踏んでいない。とくにイメージを単語に置き換えて、並べまくる。イメージの双六とでも言いたいような、そんな印象である。自分への「克己」の課題を、かなり無骨に「勉強しろ」と表現することの素直さ。これはこのバンドにしかないだろう。「勉強オレ」とはかなり度肝を抜かれた。この歌の方法論にのっとった歌がときおり作詞されることになる。たとえば「友達がいるのさ」のサビはあきらかにこの歌の延長線上である。

7 ラスト・ゲーム

宮本の本気度が尋常でなかった決意表明のような歌。その当時の感情に寄りそっていたので、アルバムツアー以来披露される機会がない。かなり挑発的な歌詞が頻出している。尊敬する永井荷風や論語の孔子を登場させたことでもわかるように、かなりの気負いをもって世界観を描いている。この頃からバンドのテーマは人生を燃やし尽くすこと、力のかぎりロック・ミュージシャンであることに感心が移っている。この歌でも「日本」のことを憂い、自分への「克己」を歌い、日々の「生活」への愛着を述べている。これらはエピック時代に好んで歌ったテーマであるが、『俺の道』ではだいぶ様相が違う。老成していないのである。目は血走り、叫びは絶唱になり、しかも他人ではなく、敵を自分のなかに見据えている。バンドを燃え立たせることが宮本のテーマだったのだろう。バンドへの苛立ちがどの歌にもかすかに漂っている。

8 覚醒(オマエに言った)

私小説ソングである。おそらくある一夜の光景である。ただその情景のおもむきがしみてくる。人生は重ねるほど、語りたくなることが多くなるが、それは別に人を諭すほど偉くなることではない。自分が変わっていくこと、あるいは他人が変わっていくことを、語りたいだけにすぎない。「感じろ 思え おのれ自身の心で」。これは『DEAD OR ALIVE』のなかでも何度も登場したセリフである。そしてこの思いはずっと続いてゆく。年齢カウントソングの第三弾、三十七になっている。タバコも散歩、「天国でも地獄でもなき今」も、今まで歌ってきたことだが、言葉の重みが大樹の年輪のようにだんだん深くなる。愚痴めいたつぶやきも、人生訓のように深まる。

9   ろくでなし

石森敏行と宮本浩次のコーラスのかけあいが美しい。イメージが脳裏にまざまざと浮かぶ情歌。真昼の憂鬱ソングである。突如おそいくる自分の存在への疑問。「何もおこらない 何も変わらない」とはエピック時代のつぶやきの再現ではないか。キャニオン時代あるいは『good-morning』では封印していた後ろ向きかげんを復活させている。しかしこのブルースは格好良い。青空に立つ男の背中が見える。しかもやや暗い印象、サングラスを通した昼の光景のような、くすんだ印象を受ける。見過ごされがちな名曲である。単純な歌詞の連続であるが、コーラスとの呼応が今までになかった曲構成でとても新鮮だったのを憶えている。はじめて聞いたのは今は無き赤坂BLITZでブラフマンとの対バン・イベントだった。

10   オレの中の宇宙

この曲はとても好きである。部屋の中のことを歌いながら、宇宙へ羽ばたく妄想の力、想像力を私小説的につづっているのだが、インドア派の人間なら誰にでもわかるような景色である。世界観はまったくエピック時代のそれであるが、パワーが断然2000年代のそれである。ライブで演奏された時のフロアの熱狂ぶりをよくおぼえている。部屋のなかの歌が、ロックになるというとても不思議な状況が、エレファントカシマシというバンドでは起こりうる。心の中の宇宙が自分に襲い来る。母親が用意した晩ごはんを「ツナワタリで食べていた」というフレーズがとても印象的である。わかるような、わからないような不思議な表現である。

11  ロック屋(五月雨東京)

『俺の道』はすべての曲に同じ色味がある不思議なアルバムである。ほかのどのアルバムと比較しても、「克己」の熱が高い。『俺の道』収録の他の歌と同様に、ここでも宮本の世界の独白に満ちている。小学生時代に疎外感を味わったこと。気遣いの習慣でコトナカレ主義を覚えた こと。長生きの人生をめざしたことがあったことも。ただ、「人生においては何をやったって構わないが/オレの心と相談して嫌だなと思ったら立ち向かえ」と結論する。戦闘宣言である。「オノレの道を行け」。メッセージはよくわかるが、曲調は苦手である。

12  心の生贄<シークレットトラック>

バンド史上はじめてのシークレットトラックである。はじめて聞いた時の意外さは今でも覚えている。『good-morning』や『DEAD OR ALIVE』ならわかるのだが、なぜ『俺の道』にシークレットトラックが…というのがはじめての印象である。そして歌詞を聴いてわかったのは、これは対バンイベントを通じて得た感動を歌にしたかったのだと思った。しかも、『俺の道』の「克己」とはやや異なって、自分より若いミュージシャンの台頭に相好を崩している歌である。「あるべきでない場所へオレも乗り込んで」とは、明らかにBattle On Fridayへの印象だという気がする。「追い立てられたカラスよろしくのていたらく」とは、自分たちの立ち位置を知ったという自戒と明るい意味での克己のような気がする。若手ミュージシャンのようにはなれないが、彼らが認めてくれている自分たちの立ち位置で、己の道を行く。そんな宣言のようである。「春の風はオレを舞台上に立たせた」。アルバムツアーの最終日にただ一回のみ披露されただけであるが、メロディも歌詞も素晴らしいので、何度も歌って欲しいうたである。

[訂正]

読者のお一人から1曲目【生命賛歌】と2曲目の【俺の道】の本文挿入違いを指摘されました。
ご指摘、ありがとうございました
まったくその通り、本文の挿入違いでした。お詫びして訂正いたします。 読んでいただければ、賢明な読者が多いのでご理解いただけたと思いますが、
恥じ入りつつ訂正したいと思います。
そもそも、流用企画だからと、疎かな編集をした席亭の不始末です。ごめんなさい。
以後、厳に気を付けますので、ご容赦ください。


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楓

Twitterから来ました。昨年エレファントカシマシの音楽を聴き始めたばかりです。サブスクでしか聴いていなくて、CDは持っていません。「俺の道」のCDがほしいと思いました。ブログを読ませていただいて、よかったです。
by 楓 (2020-06-07 11:06) 

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