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「ガストロンジャー」に関する一考察 [分析]

【ガストロンジャー】という作品が、坂口安吾の「堕落論」に触発されているだろうことは、
発表当時から巷間に云われてきたことである。
私もまったくそれに同意するところである。

安吾の傑作小論「堕落論」と、
宮本浩次の手になる【ガストロンジャー】のどこがどう似ていて、
どこがどう異なっているか、
今回検討してみようと思う。
そのためには両論の要点を抽出することが必要になるので、
やや長い文章となることを許されたい。






そのための第一歩として、【ガストロンジャー】の要約を試みよう。
● 日本の現状と自分の現状をどう思う?

良くも悪くもない、まあまあ


● 生まれた時代は?

高度経済成長=繁栄という名のテーマ
受け継いだもの=豊かさと「どっちらけ」
そこそこの生活

● くだらない世の中とくだらない自分たちについて?

縄文時代から現代まで変わってない
この世のなかは思うようにいかない


● 俺はロックンロールバンド

あいつらの化けの皮を剥がしに行く
だから胸を張って勝ちに行こう
己自身の道を歩むべく反抗をつづけていこう



歌詞はおもに4つの要点とそれへの応答で構成されている。
いわゆる自己内葛藤、もしくは自問自答である。
【ガストロンジャー】は大変に長文の歌詞になっているが、
このように論旨を煮詰めると、非常にシンプルでわかりやすいことが理解されるだろう。
なかでも、もっとも宮本が訴えたいのは、サビやブリッジで展開されるこれまた4つの挑発である。

● もっと力強い生活を
● 胸を張ってでかけようぜ
● 化けの皮を剥がしに出かけよう
● 駄目なものは全部破壊される


次に、坂口安吾の「堕落論」についてわかりやすくまとめてみよう。
時間のある方は、青空文庫でも各出版社の文庫本でも入手が容易なので全文を通して一度読んでみていただきたい。

「堕落論」は武士道や婦道などを例に取り、日本人はどうあるべきかを論じた、戦後日本人論として読める、革新的な小論である。これを要約すると以下のようにまとまるだろう。

世相は変わるが、
それは人が元来そういうものであるから。
しかし、変わったのは世相の上皮だけである。

日本人は歴史の抜きさしならぬ意志の前では
従順な子供のようである。
また、馬鹿げたものを自発的に拝み、
ただそれを意識しないでいる

未完の美とは本当の美ではない。
堕ちる道を堕ちたあとの美こそ本物である。
ただし、老若の女性を選べば、若者を選ぶというのが本音である。
けだし、人はそういうもの。
生きることはわけがわからない。

巨大な歴史と同様に人間自体も驚くほど巨大である。
そして、生きるという事は唯一不思議なこと。

戦争に日本は負け、武士道は亡んだ。
だが、そこからはじめて人間が誕生した。
「生きよ、堕ちよ」
その正当な手順のほかに人間を救う道はない。
人は永遠に自由ではあり得ない。
人は正しく堕ちきることが必要なのである。
日本も堕ちることが必要なのである。
堕ちきる道を堕ちきることによって、
自分を発見し救わなければならない。



「堕落論」は執筆当時の社会情勢を意識して、まさしく「日本の現状をどう思う?」「己自身の現状をどう思う?」の表明からはじまる。それが「日本は負け、武士道は亡んだ」という惹句につながる。そして、要約の冒頭にも書いたように、安吾も宮本のように「世の中は変わるが人は変わらない」という考察を述べる。このあたりが二つの作品のつながるひとつのポイントであるだろう。

次に、二つの作品をつなぐものに、「歴史意識」がある。宮本は【ガストロンジャー】のなかで、「黒船以降の欧米に対する鬱屈したコンプレックス」や「我々が受け継いだのは豊かさとどっちらけ」という歴史を開陳している。安吾が「堕落論」のなかで俎上にあげるのは、「武士道」や「婦道」、あるいは「美しいものは美しいまま亡びる」という日本人の美徳である。宮本はその歴史意識(とりわけコンプレックス)について、「それ縄文時代から現代まで変わってねえんだよ」と言う。一方、坂口安吾は「日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志のまえでは従順な子供」といい、「変わったのは世相の上皮だけ」という。

宮本がどれほど「堕落論」を意識して【ガストロンジャー】を作詞したかはわからないが、二つの作品には、明らかな共振(シンクロニシティ)がある。そのいちばん大きな柱が歴史意識である。安吾も宮本も、歴史は人の手で容易に変えられぬものとして存在し、人は無力であるが、人の欲望や意志のようなものは昔から変わっていない、そう述べている。「世相は変わるが、人は変わらない」という安吾の一文は両作品を貫いているだろう。

次に、「堕落論」のメインテーマである「堕落」である。人が「堕落」していくこと、経年劣化について、【ガストロンジャー】ではさほど深く触れられてはいない(実はこのテーマはアルバム『DEAD OR ALIVE』に持ち越されている )。ただ、「くだらねえ世の中」「くだらねえ俺達」というつぶやきのなかに、社会の「堕落」に対する強い認識がある。それが4つのテーゼ「もっと力強い生活を」「胸を張ってでかけようぜ」「化けの皮を剥がしに出かけよう」「駄目なものは全部破壊される」につながっていく。この4つのテーゼは、「堕落論」における最終結論である、「堕ちきることで自分を見つけ出す」ともつながっているだろう。

「堕落論」には「破壊の美」とでも呼べるような、空襲による「破壊」の描写がある。そこで坂口安吾は宮本同様に、「駄目なものは破壊される(あるいは破壊されろ)」と考えている節がある。安吾はそうした「破壊」や「堕落」の後に残るもののなかから、個人としての骨格や社会としての骨格が見えてくると考えていたようなのである。。

ざっと、共通点をさらって見たので、まとめてみたい。

【ガストロンジャー】と「堕落論」の共通点

● 日本社会の現状から見た日本人論
● 破壊(堕落)を通しての革新
● 人では超えられない歴史(意識)
● わけがわからない、ままにならぬ人生を生ききること



坂口安吾も宮本浩次も、人の限界を理解し認めながらも、それを諦めるのではなく、破壊(堕落)のエネルギーを利用して、あたらしい自分を見つけ、生き抜くことを模索している。「もっと力強い生活を」「胸を張ってでかけていこうぜ」、宮本に言わせるとそういうことだろう。

安吾の「堕落論」と宮本の【ガストロンジャー】の決定的な違いは、本質ではなく「歴史体験」の方にあるのだと考える。すなわち、坂口安吾は経済や文化において真に頽廃(たいはい)した高度成長時代やバブル経済を知らないで「堕落論」を書いたことである。逆に、宮本浩次は世界的にも「No.1」の経済と呼ばれた繁栄の後の世界のなかで「破壊」と「再生」を描いているゆえに、21世紀のリアリティという意味では圧倒的に【ガストロンジャー】に軍配がある。ただ、それは「歴史体験」における差異に過ぎず、人への希望や生きることへの渇望という意味では、二人の見解に隔たりがあるとは思われない。

ただ、宮本の場合は、坂口安吾の強い結語よりかはやや抑制のきいたものとなる。自分の意志のみでたやすく変革ができないことを知っているのである。それが宮本版「堕落論」である【ガストロンジャー】の独特の魅力として輝いているところでもある。

「死ぬときがこの毎日ときっとおさらばって言うことなんだから、
それまで出来うる限り、そう出来うる限り己自身の道を歩むべく、
反抗を続けてみようじゃないか、出来うる限り…。」


という下りである。

【ガストロンジャー】と「堕落論」の共通点に関しては以上でおしまい。
しかし、【ガストロンジャー】で響きはじめたテーマは、実は『DEAD OR ALIVE』や『俺の道』で再燃する。わかりやすいのは、【未来の生命体】の最終行である。「堕ちていく日々を超えて 超えろ」などは、そのまま「堕落論」の「生きよ、堕ちよ」そのままではないか。
(了)

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コメント 3

いし

楽しく拝見しています。
坂口安吾、始めて知りました。早速読んでみたいと思います。
管理人さんのおっしゃっている内容を見ていたら、そういう部分って
岡本太郎(今年は節目で大人気ですが)にもある気がちょっとしています。見当違いかもしれませんが・・・・仏教の訓示で仏に会ったら仏を殺せ、に対抗して『自分に会ったら自分を殺せ』とか、『経験は積み上げるものではなく、積み減らすものだ』とか。岡本太郎の文章を読んでいると、とにかく、自分にストイックに自分をどんどん壊していくという、表現が多く、宮本と似たものを感じる事がたまにあるんです。まったく関係はないかもしれませんが、更に岡本の発言で「皆がうっとりするような絵には本当の美が感じられず、見ていて不快感を感じるような、痛みや叫び、ドロドロしたものを感じられるものこそが芸術なんだ、(内容を忘れたので正確ではありませんが、大体こんな事を言っていたと思います。)というものがありますが、epic時代の歌や「俺の道」なんかには、そういうものを自分自身感じることがあるんですよね。
まぁ両者好きなアーティストという事で、勝手に結びついちゃっているんだと思いますが、少なくとも似たような精神を持っているような気はしています
by いし (2011-05-20 14:53) 

いし

長文過ぎたか、きちんと入りませんね。無視してくださ~い。
by いし (2011-05-20 14:54) 

黒のシジフォス

> いしさん、返信が遅くなってすみません。

こちらこそ、いつも駄文に感想をよせていただき、ありがとうございます。
岡本太郎氏もまた、共通点の多い芸術家ですね。

同じ投稿が二つありますので、ひとつ削除削除させて下さい。



by 黒のシジフォス (2011-05-25 00:00) 

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