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シングル「友達がいるのさ」ジャケット解読 [つれづれ]

シングル「友達がいるのさ」のジャケット写真は、
ドキュメンタリー『扉の向こう』にも登場する宮本浩次の創作ノートの抜粋で、
【友達がいるのさ】の元イメージと思われる言葉の羅列である。
この創作ノートの抜粋を見ると、【友達がいるのさ】の世界観の大きさがわかる。
曲名から連想すると、【星の降るような夜に】の類歌なのだが、
創作ノートを読むとむしろイメージが近いのは【武蔵野】である。
あるいは【DEAD OR ALIVE】だろうか。
しかし、全体を見るとアルバム『昇れる太陽』にも通じるものがあり、
『扉』『風』の制作時期の作り込みは、現在も創作の抽出になっていることが理解できる。
文面はオフィシャルのが読みやすいかもしれません(リンク

友達がいるのさ
2004.09.01
33th「友達がいるのさ」 BFCA-72013 ¥1,500(tax in.)
M-01 友達がいるのさ
M-02 DJ in my life
DVD「東京の空」ライブ映像 2004年7月3日日比谷野外音楽堂より







(表)
われわれは
ビル、道、あふれる人々 コンビニの

暗闇のこころ さえ見えなくしてしまうなか明るすぎる夜を
「0から東京のけしきをつくた人々の気持ち
    ができることは     絶望・希望・メロディ、
れは∨口びるから宇宙」              うたっている
                                           本当は
まえは何をしたいかい?                       絶望だって希望だって
                                           死ぬほどもっているじゃない?
        にもかかわらず                      中庸でいる自分

もっといきたい                 目、∧大地の鼓動がきこえるかな
本当のおれが                    本来あるはずの
よりかいまみえるだろうか?

東京中の電気を消
夜空を見上げたい
岡が見えた富士 
だれかが感動  
あの父祖のエナジー
かんじられるだ
人間が本来   
から絶望やら


(裏)
あえずあかりをけして

らしい
テレビのスイッチをけせ けしてゆけ
空の青さやら今かんじるかぜを
うけて出かけよう

気にかかる

生命のいぶきがある  しあわせをさがしている
生きているのがすきで なんどでもでかけよう

東京中の電気を消して夜空を見上げてえな
そして眠ってしまった大地の    を聞きたい ああ
かつて人が生まれ かつて かがやいていたはず
おそらく今より∧輝いてゐた  かつてまっくらやみの東京
       も


「暗闇のこころ さえ見えなくしてしまうなか明るすぎる夜を」
「暗闇のこころ」と「明るすぎる夜」という、
完成した歌詞には見られない重要なキーワードが登場している。
【友達がいるのさ】は星空を見上げたいから電気を消したいのではなく、
「暗闇のこころ」を感じ、「明るすぎる夜」を戒めるために電気を消したい、
そう言っているのが明らかになる。
実は電気を消して見たいのは、
「0(ゼロ)から東京のけしきをつくた人々の気持ち」や、
「あの父祖のエナジー」なのである。
「そして眠ってしまった大地の(2文字くらい判別不明)を聞きたい」のである。

私が当ブログにおいて指摘した、
永井荷風が『日和下駄』に著した昔と今と未来をつなぐ気持ち、
その同じ気持ちを宮本浩次が共有していることが、如実に理解できる。
その意味で、【武蔵野】に繋がる東京幻視行であることを理解しておくと、
後半バースで登場するやや難しめの単語の提示が、
幻視のなかのイメージであることをよく感じることができる。

不思議なのは、
創作ノートのなかにキーワードである「友達」が書かれていないことだ。
おそらく、歌の元イメージのなかでは、
「友達がいるのさ」というこの歌の核心が定まっていなかったのかもしれない。
「(お)まえは何をしたいかい?」
「本当のおれがよりかいま(垣間)みえるだろうか?」
などなどの自問自答の解答が、「友達がいるのさ」だったのだろう。

しあわせをさがすのも、
もっと生きていたいのも、
何度でも出かけるのも、
きっと「友達」がいるからに違いない。

『扉』『風』の制作時期の作り込みのなかで、
自分とメンバーをぎりぎりに追い込んで、苛め抜いた宮本であるが、
メーテルリンクの『青い鳥』ではないが、
すぐ手元にあった生き甲斐の動機、それを見つけた解放感がある。

文明への戒め → 父祖への思慕 → 自問自答(自分の小ささ)
→ 見つけた解答 「友達がいるのさ」「また出かけよう」「歩いて行くぜ」

『風』というアルバムは、冒頭3曲に濃縮されているのだが、
なかでも【友達がいるのさ】の胸を打つ内容は、
つまり宮本浩次という戯作者が手にした解答が、
普遍的な人々の願いに通じているからに違いない。
私はこの作品が初めて披露された日比谷野音公演を忘れられない。
あの日はじめてこの作品を聞いたとき、
宮本浩次とエレファントカシマシは中年という自覚の迷路から抜けた、
自戒自罰の昏(くら)がりから抜けたのだと感じた。

EMI中期・後期をファンとして同時体験した人にとって、
【友達がいるのさ】が特別な意味を持つのは、きっとそういうことに由来する。
私は野音というと、個人的な思い入れから【友達がいるのさ】を連想してしまうところがある。

しかし、2011年当世に読み直してみると、
むしろ創作ノートのなかの自戒部分に、意味の深さを感じる。
「明るすぎる夜」「電気を消せ」「大地の鼓動」「もっと生きたい」などなど、
これらの言葉が本来の意図とは別に、違う意味を持つからである。
電気を浪費しなくても生きていける生活をしたいものだ、
と何だか思ってしまうのである。

さて2011年秋の野音公演でこの歌を聞くことができるだろうか。
おそらくやってくれるだろうと思う。
きっとこれらのことは作者がいちばん理解しているからである。
(了)
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コメント 5

FACT

興味深い記事でした。
ありがとうございます。

宮本浩次が、「生き、悩む」達人だとして、現在進行形でも答えを出して世に問うて行けるのは、生来楽観的な人間かと思うのですが、どうなのでしょうか。

エレカシに遭遇して一年の浅い洞察ですが…。

初野音はAブロックが当てがわれたので、存分に見て来ます。
by FACT (2011-09-09 08:11) 

黒のシジフォス

> FACTさん
感想ありがとうございます。
あのジャケットを解読しているのは、私だけではないと思いますが、
発売してだいぶたって、今頃やっているのは私だけだと思います。

Aブロック当選おめでとうございます。
さりげないアピールに、妬ましさを覚えました。
ただ、私も渋公の最前列の真ん中経験があるので言っておきますが、
至近距離は緊張して楽しさよりも疲れを感じますよ。
ステージ上のオーラの直撃と自分の小ささを実感するからです。
「粗相をしないように」とするあまり、硬直しないで、楽しんで下さい。

コメントいただける方すくないので、これからも気軽に書き込み下さい。
by 黒のシジフォス (2011-09-10 00:22) 

mon

興味深く読ませていただきました。
シングルを持っておらず解読をした事がなかったので
こんな言葉が書かれていた事を始めて知りました。

私は宮本さんの書く歌詞の言葉の選び方が好きです。
創作ノートに友達が出てこないのは驚きました。
ここからあの完成度に持っていくのですからすごいです。
試行錯誤と自問自答を繰り返して生み出したのでしょう。

震災後、ネオンの消えた街を見て真っ先に思い浮かんだのが
この曲でした。
以前とは違う意味に感じられるんです。

今年の野音でもきっと演奏してくれると思います。
後ろの隅っこの席ですが楽しみたいと思います。
by mon (2011-09-11 00:16) 

黒のシジフォス

> monさん
たびたびコメントありがとうございます。
シングル「友達がいるのさ」は、
残念ながら廃盤なんですよね。名シングルなのですが。

創作ノートは、
ドキュメント『扉の向こう』に登場するものと同一だと思います。
元イメージである創作ノートの内容と、
完成された【友達がいるのさ】の違いが興趣深いので、
いぜんにノートに書き写してあったものを蔵出ししました。
いうなれば、手抜きです。

「震災後…」の記述には全く同感をおぼえます。
「明るすぎる街」が「隠してしまう」何かが多すぎるのですよね。
夜の暗さのなかにある様々な思いなどを。

私もCブロックですが、チケットを譲っていただいたので、
場内鑑賞できることになりました。
お互いに、今年の日比谷野音公演のありがたみを噛みしめましょう。
野音公演は席次ではなく、思いの集まる場所ですから。
場内、場外関係なく、当日そこで演奏を聞く人々には、
同じ志が共有されるものと信じています。
東京に来られず、地方から思いを寄せる人には、
参加した人たちのレポートを通じて、その思いが伝播していくのだと思います。
それゆえに、ライブ・レポートをそれぞれが記すことには、
とても意味があると思っています。
正直、音楽レビューサイトのそれより、
ファンが書いたレポートの方が数倍よいですからね。

「投下」とか「爆発」とか、「炸裂」とか「爆撃」とか、
煽り文句が多くて、事実と乖離していく商業サイトのライブ・レポートは、
がっかりをとおり越して苦笑を誘いますからね。
あれはああいう分野のコメディだと寛容するしかないでしょう。
by 黒のシジフォス (2011-09-12 22:46) 

mon

こんばんは!
野音のチケット良かったですね!
私も見れる事のありがたみを噛みしめたいと思います。
本当にドキドキします。

商業ライブレポートのくだりは笑ってしまいました。
本当にその通りですね。
ファンはそこに愛があるかすぐわかりますからね。

野音のレポートも楽しみにしています。
by mon (2011-09-13 01:28) 

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