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精読「ワインディングロード/東京からまんまで宇宙」その1 [企画もの]

近年発売されたシングルのなかで、
一二を争うほど大好きなNEW SINGLEの歌詞について精読してみた。
というのは、メディア露出のインタビューなどを読んで、解けてきたことが多いからである。
歌詞の内容については、インタビューを読む以前に感じていたことと、
それほど大きな差違はなく、宮本浩次の意図が汲めていたことに安堵した。
とくにアルバム『悪魔のささやき』との「地続き」のイメージは、
すでに本ブログのラジオ試聴時の感想に述べてあるとおりである。
以下、追記部分にて歌詞の詳細を精読したい。


まず【ワインディングロード】について精読する。
楽曲のタイトル通り、「道」に関する作品であることが歌詞に現れている。
たとえば冒頭の「長い道を行く」、
サビの「今ここから明日へつづく道」、「俺からあなたへ向う道」などである。
人生をひとつの道にたとえるのは古代からある比喩のひとつ。
徳川家康の「人生は重き荷を負いて長き道をゆくがごとし、急ぐべからず」などなど、
あまたの訓言があり、この歌もそれに近いものとなっている。
モチーフ(制作のきっかけ)はおそらく『ファウスト』(ゲーテ作)である。
というのは、『悪魔のささやき』に言及した項目でも述べたように、
『ファウスト』の作中に登場する重要なシーンが舞台回しとして引用されているからである。

  月明りのなかで悪夢から覚める、
  そこからはじまる新しい旅(悪魔メフィストとの世界旅行)、
  恋愛をふくめた人生の機微、
  人生の終焉における「勝ち」「負け」(賭け)。

この『ファウスト』に準拠した物語性が【ワインディングロード】でも機能している。
アルバム『悪魔のささやき』のテーマとして『ファウスト』が下敷きにあること、
また【ワインディングロード】も同様であることがわからないと、
冒頭の月明りと「魂は何度死ぬ?/ 破れしあまたの夢」の意味が理解できないに違いない。
知らなくてもどうということはない、という人もきっといるだろうが、
ふたつの作品の共通性を知っておくと、
「若さ」を失った年齢にとって、「もう一度生きなおせたら」、
「あの時ああしていれば…」という思いが切実であることが、
より実感できる。

さらに【ワインディングロード】と『ファウスト』が繋がっていることは、
「吹く風にまかせて 行く先を賭ける」の
「行く先を賭ける」にも現れている。
というのは、『ファウスト』のなかでファウスト博士が悪魔メフィストと賭けをした、
その勝負とかかっているからである。
「行く先(結末)」を賭けるとはおそらくそういう意味だと、私は理解している。
(『ファウスト』のなかでは、「時よ止まれ お前は美しい」と言ったとき、ファウスト博士は魂を取られる、という設定になっている)

この『ファウスト』の下敷きがあって、
その上に作詞者・宮本浩次の酸いも甘いも噛みしめた人生の機微が重ねてある。
たとえば、「手にした一切合切が 移ろいゆく定めならば」というのは、
全財産を取られた事件も関係しているだろうし、
あるいはレコード会社から契約を切られた過去も関係しているのだろう。
「ありふれた曲がり角 時を超えて行こう」には、
複雑な葛藤のすえに開けた視界への意気込みを感じる。
【FLYER】や【今はここが真ん中さ!】や【新しい季節へキミと】などの開放感である。

「俺からあなたへと向う道 / いうなれば愛のかたまりさ」
という歌詞からは、ついつい狭義の恋愛方面にイメージを引っぱられるが、
この歌は必ずしも男女間(あるいは同性間でもいいが)の恋愛感情ではなく、
【俺たちの明日】や【友達がいるのさ】ではないが、
大切な誰かを思う気持ちの総体を「愛」と呼んでいるような気がするのだ。
もちろん、表面的な意味を重視して、男女間の恋愛と受け取るのもあながち間違いではない。
ただ、震災後に発表した作品と言うことを考えれば、
「あなた」は恋愛を含む自分以外の大切な誰かであり、
親子関係でもいいし、師弟関係でもいいし、友人関係であってもよいのだと思う。
だから、あからさまに彼女宛の歌詞にはしていないのだと、私は考えている。

さて、今度は逆に、恋愛方面として捉えた場合の解釈も深めよう。
「今すぐ会いに行こう ゴー」に顕著な、
大好きな彼女を思って、「会いに行きたい(会いに行く)」というのは、
エレファントカシマシのラブソングの基本テーマである。
1stアルバムの【やさしさ】からしてそうである。
あるいは、【かけだす男】、【真夏の革命】などなど、よく登場している。

最後に、universal期に顕著な「自己肯定」のポジティブな歌詞。
たとえば「新しい旅がはじまる」にしても、
EMI期の【1万回目の旅のはじまり】の「灰色の海に飛び込む」や、
【流れ星のやうな人生】の「夢から夢へとつなわたり」のような、
険呑(けんのん)さや自嘲からはなれたイメージがある。
佐野元春の歌詞がぴったりなのでそれを引用したいが、
「トンネルを抜けた小鳥のように悲しみが消えた」(【スィート16】)
そんな印象である。
「光」や「太陽」にしてもEPIC期のそれとは別である。
太陽・月・星については以前に考察したことなので詳しくは述べない。

歌詞中に何度も登場する自問自答。
これはEMI後期になって顕著になってきた作風。
【人間って何だ】ではないが、「お前は何ものだ?」というような、
哲学的な問いかけにつながることが多く、
【1万回目の旅のはじまり】ではないが、解答のないままに終ることが多かった。
ただ、近年の自問自答は歌詞のなかに解答があることが多い。
たとえば【ワインディングロード】の解答は、
「己をさらして行こう ゴー」である。
その解答にいたる直前の「ありふれた曲がり角」という表現が秀逸。
「ありふれた曲がり角 その先へ さあ行こう」
「ありふれた曲がり角 時を超えて行こう」
このラインがあって、
「今ここから明日へつづく道」
「俺からあなたへ向こう道」
という行き先の明示があり、
その最後に「己をさらして行こう ゴー」という決意表明がある。

「己をさらして行こう」という歌詞は、
実はかなりドラスティックで新しい境地ではないかと私には思える。
というのは、
宮本の歌詞は【ファイティングマン】にしても【ドビッシャー男】にしても、
「気どり」(背伸び)を全面に押し出すヒーロー像が多いのだが、
今回の歌は等身大の肯定だからである
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