言葉のなかに流れる温もり [つれづれ]
ブログの長期休筆を経て、ふたたび、色んなことを書こうと思っていたが、
あまりにも書くことがないので、またまた休筆状態になっている。
これは以前にも書いたことだが、書きかけのものや書き上げて放ってあるものは、
それなりに積んであるのだが、あまり表に出す気にならないのでしまってあるものが多い。
今、書きかけの記事には、花にまつわる歌の分析というものがある。
以前に「エレファントカシマシの歌詞は神話的だ」という内容を書いたときに、
すでにその本質的な部分にはふれてしまっているのだけれど、
宮本浩次の歌詞世界は存外に具象的ではなく、種類が確定されるような物品が少ない。
それから、印象の強いよく描かれているアイテムと思っているものも、
自分が思うほど頻繁に登場していないという事実に思い当たる。
花もそんなアイテムのひとつである。
もうひとつは、『東京こんぴ』という「音楽の東京土産」をコンセプトにしたアルバムに、
エレファントカシマシの楽曲が収録されていないことに対する、
「何か足りない」という印象を出発点にした雑記である。
これはほぼ完成しているので、近日中にお披露目したい。
しかし、今回に更新するのはそれとは別の記事である。
本来は今年の3月11日近辺に掲載しようと思って、
くだくだしいのと、エラそうな物言いが気にかかって放っておいた、そんな駄弁である。
そんな駄弁であるが、「1年」という年数えのイベントがおさまった今なら、
それほど多くの目に止まらないものと思い、掲載することにする。
出し惜しみをして今に至ってみると、その中に「共振」や「土地」「ひかり」など、
ニューシングル「大地のシンフォニー/約束」にも通じるような記述があることに、
我ながら偶然の一致を思う。
マスメディアの言葉の軽さを思う昨今、
どんなことに対しても自分のことばで考えるクセをつけていきたい。
そう思って書いた文章で、エレファントカシマシに頼らないで、
自分で考えた私の東日本大震災への向かい方である。
3月に書いたこともあり、感傷的すぎるのが気恥ずかしいが、
あらゆることをグルメやクイズで片付けようとするテレビ番組よりは幾分ましだろう。
長文、駄弁、お目汚しなので、興味関心のかただけ追記をのぞいてください。
あまりにも書くことがないので、またまた休筆状態になっている。
これは以前にも書いたことだが、書きかけのものや書き上げて放ってあるものは、
それなりに積んであるのだが、あまり表に出す気にならないのでしまってあるものが多い。
今、書きかけの記事には、花にまつわる歌の分析というものがある。
以前に「エレファントカシマシの歌詞は神話的だ」という内容を書いたときに、
すでにその本質的な部分にはふれてしまっているのだけれど、
宮本浩次の歌詞世界は存外に具象的ではなく、種類が確定されるような物品が少ない。
それから、印象の強いよく描かれているアイテムと思っているものも、
自分が思うほど頻繁に登場していないという事実に思い当たる。
花もそんなアイテムのひとつである。
もうひとつは、『東京こんぴ』という「音楽の東京土産」をコンセプトにしたアルバムに、
エレファントカシマシの楽曲が収録されていないことに対する、
「何か足りない」という印象を出発点にした雑記である。
これはほぼ完成しているので、近日中にお披露目したい。
しかし、今回に更新するのはそれとは別の記事である。
本来は今年の3月11日近辺に掲載しようと思って、
くだくだしいのと、エラそうな物言いが気にかかって放っておいた、そんな駄弁である。
そんな駄弁であるが、「1年」という年数えのイベントがおさまった今なら、
それほど多くの目に止まらないものと思い、掲載することにする。
出し惜しみをして今に至ってみると、その中に「共振」や「土地」「ひかり」など、
ニューシングル「大地のシンフォニー/約束」にも通じるような記述があることに、
我ながら偶然の一致を思う。
マスメディアの言葉の軽さを思う昨今、
どんなことに対しても自分のことばで考えるクセをつけていきたい。
そう思って書いた文章で、エレファントカシマシに頼らないで、
自分で考えた私の東日本大震災への向かい方である。
3月に書いたこともあり、感傷的すぎるのが気恥ずかしいが、
あらゆることをグルメやクイズで片付けようとするテレビ番組よりは幾分ましだろう。
長文、駄弁、お目汚しなので、興味関心のかただけ追記をのぞいてください。
だいぶ長いあいだこのブログを休筆していた。 それはひとえに私の怠惰のゆえだが、軽口に、半端なものを出すのがためらわれたからでもある。 一歳(ひととせ)を経てめぐり来るものを、言葉なく感じているということもある。 チャリティや記念行事のようなものが、重みなく溢れ出すこの時節に、 本来はとても重量のある言葉、たとえば「絆(きづな)」という表現が、 安易にキャッチフレーズとなって氾濫していいくことの違和感。 被災地にいない(そこで生活していない)者が、 「(悲しい)気持ちはよくわかります」が「元気を出してください」、「頑張ってください」、 というその言葉の嘘くささや残酷さ。 わからないものをわかったフリされることへの苛立ちほど、こころの澱(おり)を生み出す。 善意の押し売り、激励の押し売り、感動話の創作、 それがすべて非-被災地からの発信であることに、言いようのない欺瞞を感じてしまう。 とくにメディアに登場する言葉の軽さだけは何とかして欲しいものだ。 そこに暮らしていないものが、被災の重さなんてわかるはずがないのだ。 被災の重さは、やはり被災したものにしかわからないもので、 遠く離れた遠隔地から被災者を気遣う気持ちというのは、 わからないなりの痛み(悼み)の想像でしかない。 失(亡)くしたものの痛み(悼み)とは、畢竟、自分の痛み(悼み)体験との対照でしかない。 肉親が没した際のいわれようのない、言葉にならないその喪失感、 あるいはトラウマを生むような壮絶な恐怖体験もしくは死とすれすれの経験、 そうしたものをかき集め寄せ集めて、ようやく一歩二歩被災者に近づけたということに過ぎない。私はあの甚大な被害を遠く眺めて、自分なりのちっぽけなこころが痛み、 自分なりのちっぽけな類似体験を寄せ集めて、被災地のことを想像するけれど、 やっぱりどうしても届かないということを思い知らされる。 そして、全然およばないそのちっぽけな同情心でも、ないよりはマシな「共振」であって欲しいと願ってやまない。 私にできるのはそんなちっぽけなことである。 被災地を復興できるほどのチャリティはできないし、 何度も足繁くボランティアに通えるほどのヒマや財力もない。 しかし、ちっぽけなりに思ってみる、失(亡)くしたものや痛み(悼み)を、それだけである。 そして、自分のなかで血の通った言葉を探してみる。 メディアにあふれるコピーライターが提供したフレーズではなく、 自分が口にして恥ずかしくない、嘘のない言葉を。 「絆」や「ファイト」や「立ち上がろう」が言葉として悪いわけではなく、 あまりにジャスト・タイミングでたやすく語れることが嘘くさいのである。 エレファントカシマシはそうした嘘くさいことを言わないので、 ファンとしてはとても安心している。 チャリティや被災者応援番組に出てしまったことはあるけれど、 そこでも少し居心地の悪そうな感じであったことに、 彼ららしさ、「善意の押し売り」嫌いが出ていたと思う。 遠隔地にいて被災者でもないものたちは、 いつもの気持ちでいることしかできないだろうし、 いつもの気持ちのなかから、自分なりの寄り添い方を出せばよいのだと、 私はそう信じている。 私はそれを「共振」という言葉で表すことに昨年思いいたった。 被災者の悲しみの幾十分の一かの類似体験から、 悲しみの震えを何とか感じようとする、その想像のことである。 地震が大陸プレートを伝わって震えるなら、 人のこころだって、空気感や想像力を伝って届いてもいいだろう、 相手のことを思うことが、相手の気持ちのふるえを感じることになる、 そうした幾分ロマンチストすぎる感傷である。 ただ、私は被災地にいないものが、被災者の気持ちがわかるなんて、絶対に勘違いしない。 わからないから、わからないと口にするしかない。 わからないなりに、自分の小さな悲しみの幾百倍幾千倍の悲しみが彼らの痛みだと思うしかない。 そうして、わからないことをわかったフリをせず、思うだけである。 思うことしかできないのである。 あの大災害のあと、たった1年ぽっちで「復興」とか「元気を出して」とはおこがましい。 私はあの大災害のあとであれほど多くの人たちが生き抜いてくれたこと、 そのことに励まされている。 ただ、そこに居てくれるだけで、知人や友人だけではなく、 見ず知らずの遠隔地の訳知らずのもの(私)でさえも、すごく嬉しくおもうのだ。 津波が恐るべき荒野にかえした東北地方ではあるけれど、 あれだけ多くのひとたちが生き抜いてくれたことで、そこは本当の意味での荒野ではない。 百年前、あるいは数百年前に、大津波が東北地方を襲ったあとに、 生き残ったひとたちが折れることなく再び集落をつくったように、 2011年に生き延びてくれた人たちは、ただそれだけでその土地を救ってくれている。 無人でない土地は荒野ではない。 帰りたい人がいるかぎり、無人の土地でさえもそこは故郷(ふるさと)であり続ける。 古代、九州地方に海外からの襲来を見張る役職として「防人(さきもり)」というものがあった。 大震災から生き残ってくれた人たちというのは、 ただそれだけで、その土地の「防人」であるような気が私にはしている。 考古学者や歴史学者は無機物からも生物のいとなみを割り出すというけれど、 私はあまりそうした科学を万能視したりせず、 やはり生物というものは子孫につづく記憶(遺伝)のなかに、「生きた証」がつづくのだ、 という風に固く信じている。 それを文化的遺伝子(ミーム)などという学説もあるらしいが、 私の場合は文系的な浪漫として、「ひかり」だと感じている。 人が暮らしている場所には(人にとっての)「ひかり」があると考えている。 その「ひかり」を消さないために、人は子孫を同じ場所に残すのだと思う。 だとすれば、それは単にそこに暮らす人たちだけの「ひかり」ではなく、 人が古代から現代まで連綿とつないできた開拓と苦闘のあかしとしての「ひかり」の山積なのだと思う。 世界中に暮らす人たちの営みは、世界の人類の「ひかり」であり、 日本人にとっての「ひかり」は、同じ文化を愛しながら暮らしている日本人が、 日本の各地や世界中で暮らし続けているそのことである。 私はきれい事かもしれないが、人の暮らす土地は温かいと思っている。 それは、誰か同胞がそこに居てくれることが、本当に頼もしいことであり、 そのことによって、そこは未開の暗闇でないことを意味しているように感じられるからである。 砂漠や荒野や南極でさえも、人が暮らしていれば、何とはなしに血の通う土地になるように、 人が暮らしている土地には人だけが感じる「ひかり」があるように思っている。 だから、人が暮らしている土地は、その人たちだけではなく、 同じ文化を持つ人たち、あるいは同じ共感を持つ人たちにとって「ひかり」なのだと思う。 成功しているとかしていないとか、開発されているとかいないとか、 さびれているとかいないとか、そういうこととは全く関係なく、 人がいるところに人の「ひかり」があり、そこは守られている気がするのである。 たった一人でも人が暮らしている限りは、そこは荒野にはならない、 否、たとえ荒野になったにしても「ひかり」のない墓場にはならない。 東北地方は生き延びてくれた人たち一人一人の存在で、荒野にならずに済んだのだと思う。 それは彼らが「防人」として東北を守ってくれたのだと、私は勝手に考えて、 はた迷惑かもしれないが、ひそかに感謝してしまっている。 東北地方は、直近に私の親族と関係のある土地柄ではないが、 私は日本人として何とはなしにそこに暮らす人たちに親近感を感じ、 彼らの営みを「ひかり」と感じ、あるいはメディアなり人づてなりに聞いて、 その「ひかり」を温かいと思っている。
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